眼差しの行方(閑人亭日録)

 今朝の東京新聞コラム『大波小波』、ナナ「原点に戻る」冒頭。

《 昨年末に逝去した渡辺京二のブックレット『あなたにとって文学とは何か』(九州文化協会)がおもしろい。 》

《 文学を文学たらしめるのは他者への眼差(まなざ)しと、他者からの眼差しである。 》

 昨夜から味戸(あじと)ケイコさんの『終末から』最終号(1975年)表紙原画(『日本美術全集 第19巻 戦後~一九九五』小学館収録)と鏑木(かぶらき)清方(1878〜1972)の絵『築地明石町』の眼差しの交差を考えていた。
 https://artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp/database/artist/3858
 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20051

 渡辺京二『逝きし世の面影』が鏑木清方『築地明石町』の婦人の眼差しに重なる。同じ眼差しでも味戸ケイコさんの絵の女性の眼差しは、違う。椹木野衣(さわらぎ・のい)は、編集した『日本美術全集 第19巻 戦後~一九九五』小学館の解説で書いている。

《 閉ざされた部屋や灰色の草原に立つ虚(うつ)ろな眼の少女は、幼いころの彼女自身なのかもしれない。そのさまは、限りなく自閉的だ。しかしそれゆえ、すべての人の心の奥底に眠る「虚ろな眼の少女」に通じているかのようでもある。 》
 https://www.shogakukan.co.jp/pr/nichibi/detail/detail_17.html

 味戸さんの女性の眼差しは遥かに遠く、時空の彼方へ向かっているように、私には思える。そしてもうひとつ。『日本美術全集 第19巻 戦後~一九九五』に収録された作品、「153 資生堂『京紅』CMポスター『かざらない唇ほど美しい』」のモデル山口小夜子の眼差し。
 https://natalie.mu/eiga/gallery/news/157418/398788

 山口小夜子の眼差しには、コラム「原点に戻る」の上記引用が相応しいように思う。

《 文学を文学たらしめるのは他者への眼差(まなざ)しと、他者からの眼差しである。 》

 そして真行寺君枝の「ゆれる、まなざし 1976 資生堂CM」。
 https://www.youtube.com/watch?v=0nlgE9xXN10

 鏑木清方は1972年に逝去。踵を接するように、味戸ケイコさんがイラストレーターとして本格的にデビュー。『年鑑日本のイラストレーション1972』講談社1973年5月10日発行には、味戸ケイコさんが描いた雑誌『エレクトーン』5と7の表紙絵が掲載されている(倉庫には現物がある)。これを見たやなせたかしは、編集長をしていた雑誌『詩とメルヘン』サンリオへの起用を決めた。「逝きし世の面影」から「遠く、時空の彼方へ」。
 それにしても、1972年のイラストレーション、凄い熱量だ。あれから半世紀か。

 ネット、うろうろ。

《 本日8日午前の段階でも、まだ差別発言を「国民が誤解した」と言ってます。
  つまり国民がアホって事?

  「国民に誤解を生じさせたことは誠に遺憾だ」 》 清水 潔
https://twitter.com/NOSUKE0607/status/1623153512023752706