『時間は存在しない』四(閑人亭日録)

 カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』NHK出版2019年9月20日第2刷発行、「第三部 時間の源へ」、「第九章 時とは無知なり」を読んだ。

《 わたしたちはこの世界を大まかに切り分け、自分にとって意味がある概念の観点から捉えているが、それらの概念は、あるスケールで「生じている」のだ。 》 132頁

《 これから時間を再構成していくわけだが、本章と次章は短いが内容が専門的なので、小難しいと感じた方は、飛ばしてそのまま第一一章に進んでいただきたい。そこからは一歩一歩、より人間的なものに近づいて行く。 》 133頁

《 思うにこの熱的にして量子的な時間こそが、この現実の宇宙──根本的なレベルでは時間変数が存在しない宇宙──でわたしたちが「時間」と呼ぶ変数なのだ。
  量子の世界に固有の事物の不確定性は、ぼやけを生む。そしたボルツマンのぼやけゆえに、この世界は古典力学が指し示していそうなこととはまったく逆に、たとえ測定可能なものをすべて測定できたとしても、予測不能になる。
  時間の核には、この二つのぼやけの起源──物理系がおびただしい数の粒子からなっているという事実と、量子的な不確定性──がある。時間の存在は、ぼやけと深く結びついているのだ。そしてそのようなぼやけが生じるのは、わたしたちがこの世界のミクロな詳細を知らないからだ。物理学における「時間」はけっきょくのところ、わたしたちがこの世界について無知であることの表れなのである。時とは、無知なり。 》 139頁

《 熱時間は熱力学と、ということは熱と関係があるが、それでもまだ、わたしたちが経験する時間とは似ていない。なぜなら過去と未来は区別されず、方向もなく、わたしたちが時の流れと呼んでいるものもないからだ。わたしたちはまだ、自分たちが経験する時間にたどり着いていない。 》 141頁

 物理学と数学は門外漢である私には、小難しくてわかりません、と言うしかない。

 好天に恵まれた朝九時、誘われて知人夫婦の車に同乗。伊豆半島をぐるっと廻る。沼津市大瀬岬から西伊豆の海岸近くの道を南端の石廊崎まで南下。下田市河津町を通り天城山を越え、午後四時半過ぎ帰宅。生まれて初めて通る道、景色。素晴らしい見晴らし、見事な断崖絶壁岩礁を堪能。

 ネット、うろうろ。

《 同様に、なんで普通に小麦粉でパンが作れるのに、わざわざコオロギを入れてくるんでしょうか?

  放射能で汚染された土をわざわざ御苑にもってくる。
  昆虫のコオロギをわざわざパンに入れる。

  おかしい、どう考えても。 》 SDGs建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家)
https://twitter.com/mori_arch_econo/status/1629513276521611265

《 俺がコオロギパンに気付くまで⑦
  論文タイトル
  昆虫が栄養的に肉よりも好ましいと証明します。
  結果
  昆虫は種類ごとに栄養にバラツキがあります。

  同様に
  自民党が好ましいと証明します。
  党員ごとにバラツキがあります。
  同様に
  原発が好ましいと証明します。
  原子炉ごとにバラツキがあります。 》 SDGs建築エコノミスト森山高至(漁協建築研究家)
https://twitter.com/mori_arch_econo/status/1629667918521970688?cxt=HHwWgMDRlc2V350tAAAA