『四季花木圖屏風』(閑人亭日録)

 昨日の日録、『美術聚英』第十册収録の尾形光琳『四季花木圖屏風』。内野まゆみさんが昨秋から制作している、三センチ四方の木片上面に色を塗り、柄を描いた上に私が源兵衛川で拾ってきた茶碗のカケラを接着し、裏面に磁石を接着させたメモ用紙留めは、すでに五百個を超えたが、私がもらった数個のうちの一つは、黒地に金で半月が描かれている。それから尾形光琳『四季花木圖屏風』へ連想が働いた。この多色摺り木版画をあらためて見て気づいたのだが、こちらは金地に黒い半月。色が逆。さらに、まっすぐに立つ老木の苔の生えた幹に、四日に見た、庄司美術館での坂部隆芳さんの老樹の絵を連想。その絵については、五日の日録に感想をあげている。

《  坂部隆芳『神の国』庄司美術館を観て
                   越沼正

  どの絵も静謐でさり気なく、深遠と深淵を見せている。
  坂部さん独自の表現世界だ。一通り拝見して備え付けの椅子に座り、
  ふっと見わたすと、左に襖絵を模した二枚の大作。右に一曲の屏風を
  模した大作。どちらも日本絵画の伝統を刷新する気が生動し、
  流石(さすが)と納得。そしてその間に小さな(といっても、たて80センチ
  よこ40センチほど)絵。歳月を重ねた樹の幹だけが描かれた絵。この小さな
  (?)絵に感嘆。これは桁違いに素晴らしい。両翼の大作を従えている。
  いや、扇の要のような位置を占めている。左右の大作は見事だ。が、
  その間の小さな樹幹の絵は、坂部さんの画業の転換点であり、
  さらなる高みを予感させる。また、絵画の歴史の隘路を抜け出した絵、
  絵画の未来をも予感させる絵、と直観した。
  かすかなひねりを感じさせる樹幹からは、遠く『ミロのヴィーナス』像の
  こだまを感じる。
  なによりも、完成一歩手前で絵筆を置いた手際に感服する。
  その消え入りそうな余白に、私たち見る者は、ふっと肩の力を抜いて
  惹き込まれる。長い絵画制作で培われた無意識の美意識が
  作者の意図を超えて降臨し、そして絵筆を置いた・・・
  ように思われる。さり気なく深い表現世界。傑作だろう。

  久しぶりに物欲が湧いた。が、私には手にすることさえ憚(はばか)れる。
  私のような一般人が所有するようなものでは決してない。 》

 「まっすぐ」と「かすかなひねり」。優れた作品は時空を超えて呼び交わす。『美術聚英』を持って行って見較べてみたい。
 田島志一編輯『光琳派畫集』審美書院全五册の尾形光琳を収めた第一册、第二册を調べたが、『四季花木圖屏風』は未収録。それで『美術聚英』に載せたのだろう。
 『美術聚英』第十册を出版して突如、田島志一は審美書院を去った。理由は詳らかではないが、美術本の事業はやり尽くした、と思ったのだろう。
 なお、「聚英」は「しゅうえい」と読むと思う。聚(しゅう、じゅ)の意味は集める。英(えい)の意味はひいでる、すぐれる。

 ネット、うろうろ。

《 「人生観が変わった」太宰治アメリカで人気...TikTokで知った若者が『人間失格』に夢中/青葉やまと 》 Newsweek
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/03/tiktok-42.php

《 もちろん接客は大変なことだ。嫌なことがいろいろある。だからタッチパネルとロボットが接客業を代理した。しかし残された人間はひたすら食べ残しを拭き続け、トイレ掃除に消えた。この光景は完全になにかがおかしかった。 》 山内朋樹 Tomoki YAMAUCHI
https://twitter.com/yamauchitomoki/status/1639287495111081986

《 「いきなり更迭というのは論理に飛躍」と岸田氏。しかしどれだけこの件で高市氏のウソが暴かれたかを考えれば「いきなり」ではない。もう罷免の頃合いだろうに。⇒ 立民 高市大臣の罷免を要求 岸田首相は拒否 “論理が飛躍” | NHK 》 鈴木 耕
https://twitter.com/kou_1970/status/1639190735831588864

《 「国民をなめきっている」日本の国会議員 虚偽答弁の重さ、元首相が失職するかもしれない英国と比べてみた 》 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/240034

《 かくまでも 小狡き「知者」を ひり出しし 醜き戦後 ただにうとまし 》 赤城毅/大木毅
https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1639286680287866884