『美術聚英』『群芳清玩』(閑人亭日録)

 田島志一が代表を突然辞したため、『美術聚英』第十一册、明治四十四年十二月八日発行の奥付は、審美書院代表者「編輯兼發行者 和田幹男」に。造本、内容に変化はなく、交替の言葉なども無い。『美術聚英』はその後、第二十五册(大正三年十月二十日発行)まで刊行された。

《 明治三十一年始めて真美協会を起こして、真美大観を発行し次いで、審美書院を設立して以て美術書刊行に従事す、余昨秋故ありて審美書院を去り専ら工業方面に鞅掌しつつあり 本務の傍ら藝海社を起こしその最初の事業として茲に本書を刊行す。 (群芳清玩第一册 序)田島志一 》 【田島志一と審美書院】 山崎純夫
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/artbooks/kusa13.html
 『美術聚英』は堅表紙 50cm✕34cm 厚7mm。『群芳清玩』はソフトカバー 39cm✕27cm 厚9mm。
 『群芳清玩』第三册の奥付は「藝海社内 編輯印刷兼發行者相見繁一/寫眞版印刷所 審美書院」。
 挿入の多色摺木版画については記述なし。

 冊子『日本紙器製造株式會社専務取締役 田島志一君演説 [紙器に就て](大正六年九月廿五日於第五十九回信用調査講究會)』。演説後は「拍手喝采」。

《 因にこれは余談に渉るが、田島氏はその後審美書院を去り日本紙器会社を設立して一時実業界立志傳中の人と唱はれたが不幸にしてその晩年は余り掉はず、大正九年(1920)に易簀されたさうである。(近世風俗畫史の後に書す 大村文夫)  》【田島志一と審美書院】より

 第一次世界大戦(1914年~1918年)で海外の紙器工場が閉鎖。戦時の輸出で多いに奮ったが、戦後は輸出が激減・・・。栄枯盛衰甚だしい。

 ネット、うろうろ。

《 完成しました!
  「曜変地目」
  ※光の反射で畳の色を変化させています。
  4/7(金)の名古屋展で展示します。 》 【本人】すごい畳 〜Kenzie Yamada 〜
https://twitter.com/japanese_floor/status/1639750359055990784

《 バカが戦争を引き起こす。中国が大国として理性的であることを願う。 》 T-T
https://twitter.com/tcy79/status/1639463112301756416

《 前任者の程永華駐日大使の離任の時は、ホテルでパーティを開いて政財界から1000人、安倍ちゃんも出席したんですよね。安倍ちゃんの外交のほうがマシだなんて、岸田って外交もド素人なんですね(´・ω・`) 》 ぽぽんた #核PA #HPVVPA にNO!
https://twitter.com/poponta_2012/status/1639491885902491648