洲之内徹『さらば気まぐれ美術館』新潮社 昭和六十三年三月二十日発行 昭和六十三年十一月二十日四刷の再読を進める。
「守りは固し神山隊」。
《 私には溺れる対象だけが必要なのだ。人生とは所詮、何かに気を紛らせて生きているだけのことだという気が私はする。 》 125頁
《 もう自分はいつ死んでもいいなと考えて、何となく心が軽くなっているのに気が付いた。母が生きているうちは、母より先に私が死ぬわけにはいかなかった。なんといってもそれは、老いた私の母にとって致命的な打撃にちがいなかったからだ。しかし、いまはもうその心配はない。 》 135頁
「絵が聞こえる」。母の死とジャズ。
《 音の存在感ということからリズムについて考えだしたのだ。いい音楽を聞くと、音は聞こえているというだけでなく、何か物としてそこに在って、目に見えるような気がする。音が存在するのだ。この不思議さ。 》 137頁
《 それはそれとして、微速度撮影で捉えた植物の生育の話を聞いて、私は、あ、これがリズムだなと思った。リズムは音階ではない。譜面の音階どおりに演奏される音にはリズムはない。一つの音から次の音へ移る間に、音がどれだけの深さの曲線を描いているかがリズムだ。だから、音色(ねいろ)というものも結局はリズムなのだ。リズムで生まれる。 》 140頁
「第三者」。
《 絵は理屈で描くものではないし、描けるものでもない。 》 161頁
「みんな行ってしまった」。
《 何から書き出してどう書いて行くか、それを考えるだけで荏苒(じんぜん)日を過ごした。 》 162頁
荏苒。再読のはずだが、覚えていない。
《 私は、小泉清の顔を見ながらベッシー・スミスを聞く。ある暗号のようなものを不思議に思った。 》 168頁
文脈からいっても”暗合”の誤植だろう。しかし、この本は四刷。
午前、源兵衛川中流、時の鐘橋から下流の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。最初の変換は”疲労”。たしかに。重くなって終了したとき、若い二人連れからお声掛け。川の歴史を少し話す。重い土のう袋を右手に下げて家に帰り着いて気づいた、自転車をあそこへ置いてきてしまった。お歳だねえ。
ネット、うろうろ。
《 片岡真実×長谷川祐子×蔵屋美香:3館長が語るこれからのアート界に必要なものとは? 国際性と美術館に関するディスカッションをレポート 》 TOKYO ATR BEAT
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/dialogue-talk-report-202305
《 過程的、ということで西田が批判していた西洋哲学の還元主義的傾向への批判の根底には、仏教の精神風土がある。。 》 清水高志
https://twitter.com/omnivalence/status/1656856799633629184
《 このニュース、昨日CNNなども報じていたけど、虚勢としょぼさ感満載だった。
世界の軍事のIT化はすごい。未だにファックスとハンコ使用、マイナカードで他人の住民票を誤発行、COCOAも失敗の日本が軍事大国なんて絶対無理。 そんなことより、国内の困窮する人を助けろよ。 》 岩竹美加子
https://twitter.com/mikakoiwatake/status/1656531747713040385
《 自民党政府の様子を見ていると、やたらと戦争準備に熱を入れているが、そこに悲愴感や不安感が全然ないのが異様だと思う。端的に言えば「盛り上がっている」。ある種の高揚感に酔っている。私はそれを「国防酔い」と呼んでいるが、それは1930年代の大日本帝国と重なる現象。 》 山崎 雅弘
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1656638124880175105
《 西田昌司にとって、差別が告発されることこそが「分断」であり、差別される側が差別を受忍することこそが「寛容」なのでだろう。彼らが求めるのは、差別してしまう自分を受容し、差別をやめられない自分をまるごと包摂してくれる社会なのだろう。なんという幼稚で甘えたマザコン保守だろう。 》 じこぼう
https://twitter.com/kinkuma0327/status/1656590538899070976