『仮面物語』帯と解説(閑人亭日録)

 山尾悠子『仮面物語 或は鏡の王国の記』徳間書店1980年2月29日第1刷、帯(小松左京)と解説(荒巻義雄)が読ませる。一部を転載。

《 彼女は、その若さにもかかわらず、彫琢された文章を鋭いランセットのように駆使して、幻想文学象徴主義文学の境界領域という、いわば現代SFの極北に挑み続けている。 》 小松左京・帯

《 事実、今日、様々な様態を見せるSFを定義しようとすれば、それは反リアリズム文学の総称と言う他はない。つまり我々は、あの奇怪な権威装置であるところの文壇から振い落された文学、換言するならば、文壇側のデジタル的思考からは絶対に評価されない全ての文学形式を併合して存在しているのである。
  そしてこの認識は、我々としては極めて重要だ。 》 荒又義雄・解説 269頁上段

《 氏(=安部公房)はさらに言葉をつづけ、「いま必要なのは、小説のアナログ的な力を評価し、要求することなのに、特にデジタル化しやすい日本の風土においては、それが何よりも大事なことのように思われる」と、鋭く指摘しているのである。 》 同 269頁下段

《 はたして我々は、ダリの描く絵画世界に対してデジタルな意味を求めるであろうか。たしかに論理的解釈をも、ダリの世界は許容する。しかし、それ以前の異感覚、あの白昼の幻夢を思わせる世界は、意味付以前に、まず感性的に存在するのである。
  同様、山尾悠子にあっても、勝負はそこで決まる。つまり、読者側の右脳の機能が、どこまで開発されているかで、この作者に対する理解と評価は、ほとんど決定されてしまうのである。 》 同 270頁上段

 的を射た解説だ。四十三年前の文章だが、今もって新鮮、というより今こそ注視すべき。

 ネット、うろうろ。

《 情動的共感というのは認知的共感側にたつ学術の認知バイアスによって過小評価されてきた。共感というのは(擬似)行為的共感なのである。それは対人関係だけには留まらない。創作、インタラクションは、ここに成り立つ。植物に触れず、行為することもない認知的共感(理解)は、認知パターンに留まる。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1664760620829351936

《 健康保険証のコピーは部活や修学旅行などでもっていてましたね。廃止され後のことを政府はまったく考えてない。無責任だなあ。 》 三浦誠・赤旗社会部長
https://twitter.com/redbear2014/status/1664567016253169667

《 >(マイナンバーカードについてつぶやくと、たまに「人に厳しく、システムには優しい」人が現れるな

  コロナについてつぶやくと、たまに「人に厳しく、コロナには優しい」人が現れるな...

  (たまに、じゃなくて、しょっちゅうか😅) 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1664675106239414291

《 まず、自公政権を追っ払って、#保険証の廃止は撤廃 することから始めましょう。 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1664613246421315584

《 これ以外にない。日本でも「身を切る改革」と言って公務員の削減や給料の減額を訴える政治家がいるが、本当の「身を切る改革」は、世襲議員がダメージを受けるような富裕層への累進課税の強化、資産課税、相続税の強化... #NewsPicks 》 平野啓一郎
https://twitter.com/hiranok/status/1664818555194576897