貫く棒のごときもの(閑人亭日録)

 高浜虚子の俳句にこんな作品がある。
  去年今年貫く棒の如きもの
 https://gendaihaiku.gr.jp/column/1100/
 去年今年(こぞことし)を去年今年と年替わりで解釈するようだが、私は壮大に拡大して解釈する。または読み替える。一年二年ではなく千年単位の歴史を貫くモノ。すなわち縄文時代の土器を思う。縄文時代は前期中期後期と分けられるようだ。それを去年今年と象徴的にいう。永い縄文時代に作られた土器の深鉢。その造形は数千年を貫いて今日の私に深い感動を与える…。美術史における様式や表現の変遷は何のもんじゃ焼き大自然の只中で自然の脅威にさらされて外界に対する鋭敏極まりない五感を働かせて長くはない人生を生き抜いていた縄文人。自然との対峙のなかで焼成した土器は、自然に対峙する力を自ずから蔵している、と解釈する他はない造形の力、自然に拮抗する力をひしひしと感じる。近代現代の造形表現に最初は感嘆するが、去年今年と年を経てくると何かしらパワー・ダウンを感じるようになる。そしてわずか半世紀で…。対して数千年が過ぎても新鮮な魅力を放ち、強靭な生の息吹きを感じさせる縄文土器。美術作品の魅力とは、発想の目新しさ、技法の新しさではない、とつくづく思う。生(なま)の自然との密接な感応の体験こそが、その後の美術行為に深く影響してくると思う。

 ネットの見聞。
 「実は「木器時代」だった可能性も 発掘困難な木材から見えてきた古代人類の知恵と技術 」 GLOBE+
 https://globe.asahi.com/article/15274542