なぜその絵に惹かれるのか?(閑人亭日録)

 なぜ?特定の絵に惹かれるのか。その謎。隠れた秘密…。そんなことをあれこれ考えていて永田和宏の短歌(『メビウスの地平』茱萸叢書1975年12月10日刊 収録)が浮かんだ。
  剥がれんとする羞しさの──渚──その白きフリルの海の胸元
 一昨日、昨日とふれた故内田公雄氏は、羞恥心という言葉をよく口にした。絵を制作する姿勢を自らに戒める言葉であり、画家仲間の絵への忌憚のない批評の基だったように思う。彼にとって羞恥心とは、制作するときの慢心を排する戒律だった、と思う。優れた絵は作者の羞恥心によって制御され、内面の心根(こころね)はギリギリのところ=渚で隠されている。鋭敏な視線で絵を鑑賞すれば、鑑賞者は白きフリルを透過、透視し、海の深い世界=制作者の内面の心根に感応する。優れた絵には共感し、さらには感動、感銘を覚える…惹かれる絵とは「白きフリルの海の胸元」の先、海の深い世界の謂いなのだ。
 「内田公雄の絵画世界」
 http://web.thn.jp/kbi/utida7.htm
 「蒼天の漆黒 内田公雄『作品 2002 W-8』」
 http://web.thn.jp/kbi/utida6.htm