『秘蔵日本美術大観1大英博物館 I』(閑人亭日録)

 『秘蔵日本美術大観1大英博物館 I』講談社一九九二年五月二十五日(第一刷)を開く。冒頭のローレンス・スミス「日本絵画の宝庫・大英博物館」から。

《 ウィリアム・アンダーソンやアーサー・モリソン、ローレンス・ビニヨンらの鑑識眼は、長い年月を経て、今日、立派にその真価を発揮している。歴史をかえり見れば気が付くように、偉大な人物が世に認められるには五十年もあればよいが、それほど偉大ではなくとも、価値ある才能の持ち主が評価されはじめるには、百年の歳月を待たなければならない。アンダーソンやモリソンは、そうした人物であった。 》 9頁

《 彼のコレクションもまた、完璧を期して学術的に追及されてきたものであり、南画に関しては、モリソンの方がアンダーソンをはるかに凌ぐ感受性を持っていたことは、次の一節からも明らかであろう。 》 11頁

《  最良の作例に親しみ、それらを可能な限り画家自身の視点に立って鑑賞するなら、かならずや共感を得るに違いないと、保証してもよいほどである。
   文人画家たちの多くが、単に描写力に欠けているわけでなく、それを隠しているだけなのだということは、すぐに了解されることだろう。そしてまた彼らの絵の中に、奇妙な抑制や、目に見て価値ありと判断されたものの描写を余り高度には実現させようとしない誇りといったものが、明らかに見てとれるのである。それは、少しく違った形で、多分より不完全な形で、宗達光琳のある種の作品中に認められるものである。客観的な正確さなどというものを決して考慮せず、筆の働きの見かけ上の効果をむしろ犠牲にすることによって、文人画家たちは、見た目よりも心によって感じられるところの、つつましく、計算ずくではないような優雅さや甘美さを、獲得したのであった
 モリソン・コレクションが加わることによって、アンダーソンが築いた伝統は一段と堅固なものになった。 》 11頁

 見事な論述だ。つづく小林忠「大英博物館の日本絵画コレクション」から。

《 江戸時代の絵画界も骨格ともたとえられるべき官画派の実態を、作品に即して正当に理解し、評価しようとする研究の趨勢があるこの頃だが、これまでの冷淡な無関心が災いして日本にはこの種の作品がほとんど見られなくなってしまった。作家の名の高さを重んじて、作品自体の美的価値を第二義的にしか見ない日本人一般の悪しき慣いにも原因した結果なのだが、幸いにそうした曇りをもたないこれら”青い目”のコレクションが、今後の研究に大いに役立てられることになるだろう。 》 17頁下段

 それから三十年余。”日本人一般の悪しき慣い”は変わらない…。昨日話題の故つりたくにこさん…。故北一明…。
 原色とうたっているだけあって見ごたえがある、卓上に両頁がすっと平らに開く。ゆっくり鑑賞できる。それにしても重厚長大の美術本だ。審美書院よりずっと重い。夫婦函入りの全十二巻を揃えたら、立てて並べて置くのだろうけど、取り出すのに一苦労だな。この一冊だけでいいや。