《 31(引用者・略)美は美であって、これは非常に大きな問題で、美とは何ぞやというところから始めなくちゃならないわけですけれども、自然を深く観察し、あらゆる地球上に存在するものに注意を向けてみると、非常に驚異を感じるわけですね。それで、単に美しいというようなものでなくて、それじゃそういうものはどこから来ているかということを探求することになるわけなんですが、これはとにかく年をとるに従って、フランスへ来てからも、非常に注意してあらゆる地球上のものを見る。ほんとうに心から見る。若いうちでも、多くの人でも、たいていは眺めている態度なんです、自然というものを。ほんとうに見ようとして見てくると、いかなるものでもなかなかそう簡単にはわからないし、非常に深く観察する。デッサンにしても非常に細かく見る。そしてそれを描く。
そういった態度をとっていきますと、あらゆるものにポアン・アンテロガシオン(疑問符)をつけなくちゃならなくなってくる。それで、その結果、結局神秘的なものになってくるんですけれども、結局、その神秘的なものこそ、僕は美であると感じるようになったですね。(引用者・略)
そして、あらゆる地球上のものがやはり、宇宙と同様に、ある一つの理によって運行している。理によってつくられ、理によって生きている。 》 21頁
《 37 (引用者・略)ルーヴル美術館へ行って昔のいい絵を見ても、その時の自分の高さの程度でしか分からないです。幾度行ったって、分からない人には分からないです。だから本当に見える眼を持つということは、なかなかむずかしいものです。 》 26頁
《 52 (引用者・略)この地上の無限な存在物の中から、たった或る一つのものが、(ときには他との関係において)エキストラオルディネールなものとなって自分に話しかける。
自分はその話す言葉のヴェリテを、出来得るだけ確かに聴きとろうとする。(引用者・略)
またときに拠り、それ等のものは、われわれ人間と同じように感ぜられて来る。
その時、一切を忘れて感激の時が続く。
近頃、自分の作品の多くは、かくして生まれて来る。 》 36頁
以上、「I 断章、折りにふれて」から印象深い箇所を書き写した。拙い感想を書きたくなるが、やめておく。
竹本忠雄「長谷川潔の芸術と運命──『回想録』続篇に代えて」より。
《 そして次の言葉には、なによりも「流離」の悲痛が溢れでている。(引用者・略)
日本からの色々な申出は己に遅く、十年も前にして呉れる事を今日急に云ってよこし、日本では何事も小生は黙殺されて今日に到ったのです。老人となったら如何に精神的に戦う意思がが有っても肉体が意思に従って呉れなければ致方無き事です…… 》 172頁
小原古邨、北一明、つりたくにこ・・・。