千葉雅也『センスの哲学』文藝春秋二〇二四年四月二十五日 第三刷発行、前半を読んだ。以下、メモ。
《 人をより自由にしてくれるようなセンスを、楽しみながら育てることが可能である。というのが本書の立場です。 》 16頁
《 その背後にどんなプロセスがあるかは脇に置いて、「深く考えずにわかること」を広く意味するもの、として直観を捉えることにします。 》 19頁
《 本書は最終的に、センスの良し悪しの向こう側、センスの彼方について考察します。 》 25頁
《 ・センスとは、「直観的にわかる」ことで、いろんなことにまたがる総合的な判断力である。直観的で総合的な判断力。そして感覚と思考をつないだようなものである。 》 34-35頁
《 ・モデルの再現から降りることが、センスの目覚めである。 》 44頁
《 意味の手前、それはひとことで言えば、「リズム」だと思います。その絵が何を表しているか、その小説がどういうメッセージを発しているかではなく、そこで展開されている形や運動が、それ自体としてどのように面白いかを感じとる。形、音、味などが、ただ即物的にどうなっているか。そのことをリズムと呼びたいと思います。 》 48頁
《 そして、リズムはたいがい複雑で多層的です。 》 56頁
《 ・より正確に意味を実現しようとして競うことから降りて、ものごとをリズムとして捉える。このことが最小限のセンスの良さである。 》 61頁
《 意味から離れたリズムの面白さ、それがわかることが最小限のセンスの良さなのだと言いましたが、それは、二〇世紀にいろんなジャンルの芸術が向かった方向なんです。ここで言うセンスの良さとは、意味へのこだわりが強かった時代から、より自由に音や形を構成していくようになるという近代化、現代化──そのことを「モダニズム」と呼ぶのですが、そのモダニズムを良しとする価値観を指していることになります。 》 62-63頁
《 ラウシェンバーグの場合は、意図的に、意味から離れた作品を作っているわけですが、こういった絵画の自由化は、さかのぼると一九世紀の印象派あたりから本格化していきました。その流れにおいて重要なのは、印象派に先立つセザンヌの絵画です。 》 70頁
《 鑑賞と制作の両サイドで芸術を楽しめるようになる、また芸術的なアプローチで生活を捉えるというときに、核心的なのは、「それは何なのか」、「何のためなのか」から離れて、ものそれ自体の面白さを見る、つまり意味を脇に置いて、リズムに感覚を届かせることです。 》 74頁
《 ・リズムとは、「うねり」であると同時に「ビート」である。
この絵は何を言いたいのかではなく、ただのリズムとして楽しめるようになる。それがセンスの目覚めなのだと言いました。それをさらに発展させると、こうなります。
・センスとは、ものごとのリズムを、生成変化のうねりとして、なおかつ存在/不在のビートとして、という二つの感覚で捉えることである。 》 81頁
《 このように、人間にとっての不在とは「ただ単にない」のではなく、「あってほしいのにない」というニュアンスを持つ。だから、欠如という言い方がふさわしい。 》 82-83頁
《 ・ハラハラドキドキ → ビート:はっきりした対立関係、存在/不在
・微妙な面白さ → うねり:生成変化の多様性 》 84頁
《 芸術作品とは、目的を果たすための道具ではありません。 》 97頁
平易な文章で語られる芸術論。後半はどんな展開になるかな。