千葉雅也『センスの哲学』文藝春秋二〇二四年四月二十五日 第三刷発行、後半を読んだ。以下、メモ。
《 芸術は立派なものを表現する、それがかつての常識でした。そこから、立派じゃないものを扱う芸術へ、というのが近代、モダニズムなのです。 》 106頁
《 ちょと脱線して、極私的パリ案内。(引用者・略)僕のお勧めは、オルセーに行って、それからポンピドゥーセンターです。 》 107頁
《 ・不在/存在のビート:対立としての意味
・生成変化のうねり :距離としての意味 》 126頁
《 人間は社会的動物であると同時に、もっと自由に想像力を展開する力がある。構造的感動は、生存に直結しない無駄を楽しむこともできる。 》 127頁
《 世の中では、何らかのルールによって秩序づけられた並びでなければ、絵として、音楽として、文学として認めない、という態度がマジョリティです。 》 159頁
《 自分が前提している意味の幅よりも、もっと広い意味の取り方をすれば、一見つながっていないものをつなげることができるようになる。 》 163頁
《 ともかく、結局は何をどう並べてもつながりは成り立つし、あるレベルでの、ある水準での意味を持たせようと思えば、意味が成り立つ何らかの抽象化のレイヤーを考えることはつねに、任意に可能なのです。 》 165頁
《 絵画や音楽でも、インテリアやファッションでも、要素を並べる=リズムを作ることだと言えるわけで、ある並び=リズムを鑑賞する/作ることが大きな捉え方での「全芸術論」になります。 》 168頁
《 完全に規則的ではないし、まったくランダムでもない。そういうバランス。これが、おおよそ「美」と呼ばれるものでしょう。 》 171頁
《 ・差異とは予測誤差であり、予測誤差がほどほどの範囲に収まっていると美的になる。それに対し、予測誤差が大きく、どうなるかわからないという偶然性が強まっていくと崇高的になる。 》 173頁
《 ・芸術に関わるとは、そもそも無駄なものである時間を味わうことである。あるいは、芸術作品とは、いわば「時間の結晶」である。 》 186頁
《 芸術とは、それを作る人の「どうしようもなさ」を表すものだと思います。何らかの反復です。それが芸術の深く、プライベートな本質です。 》 207頁
《 おそらく重要なのは、反復の「必然性」ではないかと思います。生きることと結びついた必然性です。 》 209頁
《 ところで、作品を人生に還元するのも違うし、作品を完全に個人から離れたものとして捉えるのも違うと思います、作品は、主体化と共にあると同時に、主体の変容、さらには匿名化と共にある。 》 211頁
千葉雅也『センスの哲学』読了。私の愚考と重なるところ、すれ違うところ、いろいろあった。と書くのは思いあがりかな。まあ、多少のズレが生じるのは当たり前。参考になった。ポンピドゥーセンターが推されているのは、嬉しいねえ。故つりたくにこさんのマンガ原稿五点が企画展で展示中。