美の感応力(閑人亭日録)

  昨日の日録、上條陽子さんのリンクを二つ忘れていた。
 「上條陽子の転回-玄黄から天地へ」
 http://web.thn.jp/kbi/kamijo3.htm
 「記憶の塔ー上條陽子の箱」
 http://web.thn.jp/kbi/zakki3.htm

 絵画は、人の身振り、言葉と同様、意思疎通(交通・交感)の一手段とみなすことができよう。見る人は、なぜか惹かれるその一枚の絵には何が描かれているのかをまず探る。それから画家は何に感動し、何を描いているのか、何を表現したいのか(何を伝えたいのか)を感じ取り、わかろうとする。その過程でこの絵になぜ惹かれるのか、その理由の一端が次第に明らかになってくる。描き方が見事だ。その筆致、筆触がいい。美しい。惹きつけられ、次第に画面にのめり込んでゆく・・・これは欲しい。お値段は? と懐具合が気になる。まあ、こんな具合で絵は売れていくんだろう。生身の女性に惹かれてゆく私を参考に書いてみた。美術作品の購入も同じような過程を辿る。女性の場合も美術作品の場合も、最初の一瞥で瞠目することもあれば、じっと眺めていて気になるなあ、と迷いに迷い、購入を諦めるのために些細な瑕瑾(?)を探し出すことも多々ある。逆に、その瑕瑾と思われたものが魅力に転化することもある。その瑕瑾を味方につけて深い魅力を惹き立てる役割を担わせてしまう魔的な魅力、訴求力、美。美は乱調にあり、とも美は危うきに遊ぶとも言われる。そこが美の魔力。美は、作品と鑑賞者の間に成立する深い感応の関係。感応力の深浅の度合によって美術作品はさまざまな表情を見せる。そこにあるものをただ見ているのか、そこにあるものの深い魅力に魅せられるのか。それは鑑賞者の感応力に負う。と、偉そうに書くのは容易いが、私自身、鑑賞能力には自信がない。だからこそ、今まで気づかなった美の発見、美との出合いがあり、美術作品は面白い。ボケちゃいられない。

 大雨、豪雨。築四十三年。雨漏りは全くない。一安心。