その存在のオブジェ(閑人亭日録)

 熱帯夜。午前二時26.6度。寝苦しくて目が覚めた。遮光カーテンを束ね、白いレースカーテンだけにして窓を全開。夜風が入る。何度か目が覚め、夏の夜を実感。
 朝の光と風を受けて、和室の窓一杯のレースカーテンは映画で観た外国の邸宅のフランス窓のよう。座卓には北一明の円型の平たい器。内径15.5cm、外径17.5cm、側面の高さ6cm。重い。初めて見たとき、灰皿を連想。昭和の時代、応接間のテーブルにこんなガラス製の厚い灰皿がよく置いてあった。菓子を入れる器にも使える。が、北一明の茶盌同様、私はこれをオブジェと見做す。茶碗、器、お皿を何気なく見ると、それらは美術工芸品の枠に収まってしまう。工芸品と造形作品、どこが違うのだろう。使用目的と鑑賞目的の違いと言えば簡単だが、それでは置物はどちらに?となる。線引きは難しい。美術工芸品は美しい。美術造形作品は美しくないが、美を備えている、かな。この油滴の器は、美術工芸品ではない。造形美術の新局面を切り拓く作品と見定めるほうが、面白い。伝統の継承、発展といいながら、瞠目する画期的な焼きものが出現しない昨今、北一明の焼きものは、日本でもいずれ再発見、再評価されるだろう。昨日、これを初めて目にした友だちは「あら、いいわね」と一瞥で評価した。うれしい。
 午後、晴天の強風にあおられて白いレースカーテンはふわふわと泳ぎ、油滴の器に触れそうになびく。重厚な器は無動。そこに在る。その存在のオブジェ。