ハーバート・リード『芸術の意味』みすず書房1989年4月25日 第22刷、「2」(原始芸術~近代彫刻)後半を読んだ。特に注目した箇所を抜き書き。
《 しかしターナーは天賦の才にだけ頼っている芸術家では決してなかった。彼は天才というものが修練なしには偉大さに達することができないということや、芸術における修練は、努力の跡を見せない技術を養うことにあるということを充分に知っていたのだ。彼が獲得した効果──たとえば霧や水疱や渦巻く水の描写など──は依然としてわれわれの分析の手に余るものである。 》「67 ターナー」122頁
《 芸術家の芸術についての考察はいつも興味のあるものだが、だからといっていつも真実を語っているとはいえない。というのは、ある一つの媒財を透して自己を表現する能力があるからといって、他の媒材によってもできるとは限らないからである。特にもっとも難しく曖昧な媒材である文章の場合にはそうである。 》「68 芸術と自然」127頁
《 画家は自然から示唆を、とくに「主調音」を求めようとする。しかしこれを土台として築き上げた調和(ハーモニー)は画家の想像力の仕事である。 》「70 ドラクロワ」134頁
《 われわれがしばしば天才といい、ときには個性といっている要素の秘密はいかに正確を誇る批評も及ばないものであるが、それはヴァン・ゴッホや他の芸術家の場合について学ぶことができる。しかしそれを学ぶだけで、解明してはいないのである。 》「74 ヴァン・ゴッホ」144-145頁
心残りのページを少し残してきょうはここまで。