半身を生きる(閑人亭日録)

 昨日は亡母の祥月命日。裏の菩提寺へ。境内の百日紅(さるすべり)の老木は、去年は紅い花を盛大に咲かせたが、今年は半身枯れたよう。庭師は幹の半身が生きているから大丈夫と言う。我が家の脇の椎の木も、今年は葉の茂りが少ない。やはり半身枯れたよう。子どものころから長く親しんできた木が衰えるのは見るのがつらい。昨日の『王朝百首』、哀愁の歌ばかりが並んでいたことに気づく。半身を削がれたよう、とは愛する妻に先立たれた某小説家の言葉だが、昨日、源兵衛川の激しい流れを見て友だちに、
 「川へ入って作業するのは無理だね」
 「土佐衛門になっちゃうね」
 最近知った言葉を使う彼女を面白く感じた。半身を生きるのはやだなあ、と今朝カーテンの合間から明るく差し込んできた外光を眺めてしみじみ思った。

 夕方、味戸ケイコさんへ返事の手紙を投函。ちょっと歩いただけで汗。