「動的平衡」(閑人亭日録)

 北一明の茶盌を見ていて、生物学でいう「動的平衡」という用語が浮かんだ。「乳頭(釉垂れ)」の先が卓上すれすれに留まっている。それはただ垂れているのではなく、狙いどおりの停止のかたち。北一明には、このような偶然の賜物ではない「乳頭(釉垂れ)」を魅せる作品がいくつもある。偶然ではない、と私が考える理由は、それがしっかりと動的であるから。釉薬がただ垂れただけのものとは、印象がまるで違う。手元にある「乳頭(釉垂れ)」が魅力の構成の一つになっている作品は、それぞれ成るべくして成ったという、必然性を感じる。動的平衡。一般の釉垂れは、厚い釉薬が垂れました、という印象。これは鑑賞する人によって判断が分かれるだろう。北一明の「乳頭(釉垂れ)」は、分厚い釉薬が大小長短さまざまに雫のように垂れた魅力を存分に見せる。それは「動的平衡」によって生動的に意味付けられる。北一明の茶盌は、茶碗=静的、不動という通念を突き抜け、茶碗に新生面、動的平衡を創造した。

 降ったり止んだり、湿気の多い、いかにも梅雨の一日、と思いきや、午後は晴れて真夏日