浅い曜変 深い耀変(閑人亭日録)

 ずいぶん前、静嘉堂文庫美術館で見た国宝曜変茶碗には拍子抜けした。対して北一明の耀変茶盌は、変幻夢幻の深く複雑な遊色に驚いた。私はご老人だが、子どものようだ、とよく言われる。そんな子ども心の目から見て、国宝曜変茶碗は浅い。北一明の耀変茶盌は深い、と一言で片づけてしまう。こんな子どものような発言は、私くらいしかしないだろう。陶芸の専門家は、ただあきれて失笑、黙殺するだけだろう。けれども・・・いや、北一明のように口角泡を飛ばして主張することはない。日本人は権威、権力に弱いのだな、と思う。寄らば大樹の影、という処世術が身に沁み込んでいる人が目に付く。うまく立ち回って主流に就いたほうが勝ち、いいことがある、という発想。
 勝ち負けの世界に身を置きたくなくて生きて来た。甘味処を営んでいた時も、他店との競合を避けた。食べ物は、自分ではなく客が美味しいと思えば、客は増える。その経営方針で店を切り盛りした。四半世紀、バブルが弾けても、売り上げはずっと右肩騰がり。コンビニが出店してきて、この店もこのあたりが限界だな、と直感してさっさと店をたたんだ。そして半年後の1997年6月1日にK美術館を開いた。一般には名が知られていない味戸ケイコと北一明の常設美術館。なぜ、味戸ケイコと北一明なのか。私は作品が素晴らしいと判断したが、その筋の専門家は一顧だにしなかった。ならば私が顕彰しよう、と。甘味処とは真逆の発想。これからは自分の好きなことをやる。
 行政をはじめ他人様の援助等は一切求めず、自前の資金だけで運営した。この作品はいい!と判断した新進気鋭の新人、優れた作品を遺した物故作家の作品を展示、紹介した。閑古鳥が鳴いた。まあ、いつか作品が評価されるだろう、と気にならなかった。小原古邨、白砂勝敏、つりたくにこ・・・。
 源兵衛川は、1980年代には冬期にはどぶ川と化していた。私は、三島の商店街が生き残るためには源兵衛川が1950年代の水量豊かな清流の時代の風景に戻すほかはない、と考えていた。ゴミ拾い、草取りなどの作業を30年余。「平成の名水百選」に選ばれたが、選定理由は”日本で唯一、どぶ川を清流に変えた川”。そして世界水遺産に選定。
 先年、静岡県でいちばん住みやすい街に「三島広小路」が選ばれた。
 外は暑い。和室を抜ける風も暑い。北一明の黒系の茶盌三客をいつものように卓上に並べる。気持ちが落ち着く。