少年や六十年後の(閑人亭日録)

 永田耕衣の俳句
  少年や六十年後の春の如し
 を最近になってしみじみ感じ入ることがある。
 十代後半、母親は私の鬱鬱とした雰囲気を心配して精神科の医者に連れて行って診てもらった。病気でもなかったようで何事もなく帰宅。陰気な少年だったようだ。
 もう一句。
  夢の世に葱を作りて寂しさよ
 この句が二十代からずっと気になっていた。
 二十代は味戸ケイコさんの絵画に救われた。近年は加えて北一明のき茶盌にも慰撫される。言葉は違うが、鬱に沈む心を掬いあげてくれることに違いはない。二人の作品に出合わなかったら、自分はどうなっていただろう。自暴自棄に陥っていただろう。生ていることの虚しさ、淋しさに打ち負かされる・・・。よくぞこれまで生き延びて来た。病を得て老いを実感する今、この二人の作品が無かったら、と思うと、ぞっとする。つらい人生を終えたくなる・・・鬱の世界だ。なぜそのような気分になるのだろう。今、伴侶に恵まれたからこそ、喪失のつらさををおそれる。こんなひどい心境を書きたくはないが、今が人生で最も恵まれているからこそ、失うおそれを抱く。書くことによって、吐露することによって、弱音を吐くことによって、少しでも生きようと思う。今ある幸運に感謝を込めて。
 からだの痛みは生きている証。楽しくして生きねば。暑いが明るい朝。おはよう。
 猛暑日。35,5℃。