宮本常一『日本民衆史7 甘藷の歴史』未來社一九六二年一〇月一〇日第一刷発行を少し読んだ。
《 いずれにせよ琉球から薩摩にもたらされた甘藷のひとつが、間もなく紀伊の土に根をおろし、芽を吹き、やがて枝をはっていったのであろうことは想像にかたくない。
甘藷が紀州へつたわったころよりすこしおくれて、安芸国(広島県)へもつたわってきた。 》 51頁
《 「農業全書」の稿の完成してのは元禄九年のことであった。 》 55頁
《 が、とにかくこの書物で甘藷の効用をこまごまとのべ、また植え方をくわしくしるしてくれたことは、その後この作物の伝播に大きな影響をあたえたものと思われる。なぜなら、江戸時代にもっともひろく農民によまれた農書は「農業全書」だったからであり、当時またこれほどととのった書物もなかったのである。 》 58頁
お昼、東京から年上の古くからの知人女性お二人が来訪。なんと東京から各駅停車で来た。海が見えて楽しかった、と。のんびり寛いでの列車旅もいいものだな。
隣の料亭登喜和で友だちも加わって昼食。そして自宅へ。歓談。現代美術家の大坪美穂さんに、三十年あまり前にいただいたカット絵をお見せする。喜ばれる。一昨日(26日)に書いたもの。北一明などの本の装丁を手掛けていた戸田ヒロコさんは、大坪さんのカット絵を使った本の装丁をしていた。戸田さんからは先年、もう終活だから、と北一明の茶盌、書などをいただいた。戸田さんは、手掛けた限定特装本を神奈川県立近代文学館に寄贈。亡くなった美術家の作品の処分に遺族は苦労する、という話を身近に感じる。同居している内野まゆみさんの、源兵衛川の底から私が回収してきた茶碗のカケラを使ったメモ留めに、お二人えらく興奮。チョコレート菓子四個を収める箱に入れるメモ留めをどれにしようか、とずっと悩んでいる。もう一箱足して八個を選ぶように、と増やしたが、メモ留めは軽く四百個を超える。なが~く悩んでやっと終える。こんなに食いつくとは。ま、大いに楽しんでくださってよかった。