宮本常一『日本民衆史7 甘藷の歴史』未來社一九六二年一〇月一〇日第一刷発行を少し読んだ。以下メモ。
《 こうして幕府や青木昆陽の奨励がおこなわれつつも、それが隅々に行きわたっていくには、また多くの篤志の人が、それぞれの土地へイモをとりいれる努力にまたねばならなかった。 》146頁
《 甘藷はあたたかい地方からだんだん左海地方へひろがっていく。第二次世界大戦まえ、太平洋岸で甘藷の栽培せられた北限は岩手県であた。その南の宮城県でイモのつくられるようになったのは文政八年(一八二五年)であった。 》150頁
《 つぎに日本海方面へのイモの分布もかなりはやかったと思われる。これは日本海の海運の影響をうけている。 》153頁
午後一時、七月の最高気温37,3℃を記録。午後一時過ぎ、東京から年配のご夫婦が初来訪。四方山話。疲れた~。