昨日読了した宮本常一『日本民衆史1 開拓の歴史』が反響している。昨日引用紹介した結びの文章。
《 いずれにせよ、明治以来の国内開拓はその大半が政策からはみだして十分政府が保障し得ない人びとを便宜的に帰農せしめ、政策の破綻を救おうとしたところに問題があった。だから世がややおちついてくると、これらの人びとのことは忘れられていったのである。しかもいつも結果だけが論ぜられた。土地は開け、作物はみのったという。しかし、そこに入植した者がなにほどもそこにのこらず、別の人が新たにはいって成功をうちたてているのが大半である。
こうして歴史がつくられていく。 》228頁
柳田国男にはさほど関心が向かなかったが、宮本常一は六十年余、ずっと気になっていた。民衆、庶民への心配りというか、生きるために必死に働いている名もなき一般庶民の実像を本に遺した功績はじつに偉大だと思う。なにより視線を低くして生活実態を細かく観察し、そして文献を読み込み、時代を鳥瞰的に見渡す、という学問姿勢に感服、親近感を覚える。もっと評価されるべき民俗学者だ。
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宮本常一『忘れられた日本人』未來社一九六〇年七月二〇日 第一刷発行を本棚から取りだす。「あとがき」から。
《 一つの時代にあっても、地域によっていろいろの差があり、それをまた先進と後進という形で簡単に割り切ってはいけないのではなかろうか。またわれわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人びとを卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立ってみることも必要ではないかと思う。 》256頁
《 西谷さんのおかげで無名にひとしい人たちへの紙碑の一つができるのはうれしい。 》258頁(結び)