「縄文論」を読んだ。
《 資本主義も全体主義も、近代的な国家を内側から乗り越えて拡大する、超近代的な帝国を目指していた。世界に覇を唱える帝国を目指す国家同士の闘いは必然的に全面化し、同時にその帰結としての破滅もまた全面化することになる。その危機は現在でもまったく薄らいではいない。 》142頁
《 「未開」や「野蛮」と称された社会は、国家の形成に抗う社会であった。(引用者・略)国家に抗う社会とは、「生産と蓄積」の論理に抗う、「消費と蕩尽」が貫徹された社会であった。 》142頁
《 新石器(農耕および牧畜)の時代に属しながらも、旧石器(狩猟社会)の生活を捨てていなかったのだ。世界史の上で縄文のもつ特異性があるとすれば、その点に尽きる。それに付随してもう一点、土器が造り上げられる方法および焼成温度も縄文と弥生では著しい対照をなす。縄文は自然のままでの野焼きという「低温」で造られるが、弥生は、同じく野焼きであるが、それらをさらに土でドーム状に覆い、いわば人工の窯を形成し、そのなかの「高温」で造られる。 》146頁
《 縄文は、国家として結実し、現在にまで至る「灌漑水田稲作」による社会、弥生とは断絶している。 》147頁
《 土器自体は日常品であるが、縄文中期の土器はその目的を大きく逸脱した過剰な装飾品、宗教的な価値と経済的な価値を切り離すことのできない「神器」にして「宝器」でもあったと推定されている。 》148頁
《 縄文のすべての時期(草創期から晩期に到るまで)から見出される土偶もまた、そのほとんどすべてが女性を象徴的にあらわしたものであり、その存在を通じて縄文は後期旧石器時代に連続することになる。(引用者・略)「新石器の時代」の到来を待たず、「旧石器」の時代の最後に、絵画と彫刻という、現代においても純粋な芸術表現(ファイン・アート)を規定する二つの方法、二つのスタイルが整えられたのである。》149頁
《 線は渦を巻き、螺旋を描く。それは具象ではなく抽象である。しかも平面の処理ではなく立体、すなわち「空間」の処理であり、さらにそのことによって人間的な三次元の「空間」の認識は研ぎ澄まされ、現実である「三次元」を超えた「四次元」の認識がひらかれ、「四次元」表現が可能になる。 》150頁
《 農耕社会の成立から近代国民国家の誕生までわずか一万年に満たない。狩猟採集社会は三〇〇万年の持続のなかで可能になった。 》173頁
《 狩猟社会の人々は、物理的な環境と精神的な環境が一つに融け合ったような世界を生きている。そうした世界が二つに、物質的な世界と精神的な世界に分断されてしまうのは、農耕社会以降なのである。自然の中を生きる人間が、自然を支配するようになったのである。 》181頁
《 土器の使用と農耕の開始が新石器革命を意味していた。縄文は、そのような区分を根底から無化してしまう。
縄文時代の展開に従って、土器も異形化し、土偶も異形化する。土器の異形化と土偶の異形化は並行し、共振するものであった。 》211頁
《 旧石器時代から狩猟採集という生活スタイル、物質的な環境と精神的(霊的)な環境が一つに重なり合う生活スタイルを引き継いだ縄文時代は、その完成期と終焉期に自らのもつ表現性の臨界に到達したのである。それは人類史的に考えて、芸術表現の一つの到達点ということも可能であろう。 》212頁
じつに濃密な論述だ。縄文の火焔深鉢土器から受けた衝撃がまざまざと蘇る。
お祭り三日目最終日。午前11時36.8℃。猛暑日。日が傾いて人出が戻る。きょうも凄い人出。賑やかにして和やか。パリ・オリンピック同様、時代が変わった感を深くする。喜ばしい。