『縄文論』再読・八(閑人亭日録)

 「まれびと論」(四次元の塔)を読んだ。

《 岡本太郎とは一体何者だったのか。その答えは、「太陽の塔」とは一体何を表現しようとしたものだったのかを解き明かしていくことによって、徐々にあきらかにされていくだろう。 》300頁

《 しかしながら、「美術史」の拡張という点で、岡本太郎と真に比較対照されなければならないのは、バタイユではなく、ブルトンである。 》301頁

《 『魔術的芸術』において、ブルトンは、意識の「外」のみならず、時間的にも空間的にも、ヨーロッパの「外」──時間的にいえば「古代」社会、空間的に言えば「未開」の社会──に、来たるべき芸術の根拠となるような表現の原理を探っていった。 》302頁

《 森羅万象あらゆるものは、見えない力を媒介として一つにつながり合っている。その見えない力を取り扱う技術が「呪術」である。(引用者・略)「魔術的」(magique)という単語は、本来の意味でいえば、モースが使っている通りに「呪術的」と訳されなければならない。 》303頁

《 ブルトンレヴィ=ストロースを介してモースの「呪術の理論」を受容していたのである。
  岡本太郎は、シュルレアリスムの草創期の熱気を、パリで直接に体験していただけでなく、後にブルトンがモースの「呪術の理論」をもとにしてシュルレアリスムの未来の可能性を「呪術的芸術」と規定していくことを先取りするかのように。一九三七年、パリで開催された万国博覽会の跡地に建設された「人類博物館(ミュゼ・ド・ロム)」で行われたモースの講義に参加していた。 》303頁

《 太郎は、それまでに自分がさまざまな媒体に書いてきた文章を集大成するような書物、『原色の呪文』を、文藝春秋社から「人と思想」シリーズの一冊としてまとめた(一九六八年)。
  太郎は、そこに「呪術誕生」という序文を付し(引用者・略)高らかにこう宣言する。「芸術は呪術である」、と。まさしく太郎による『魔術的芸術』の完成である。 》304頁

《 太郎もまた、列島日本の時間的な極限にして限界(「縄文」)に向かい、空間的な極限にして限界(「南島」)に向かった。その二つの極限=限界(リミット)から、自らの信じる「超現実」に向けて飛躍したのである。しかも太郎のいう「超現実」は、そのなかに自らとは相反するもう一つの極を含み込んだものだった。太郎は自身のもつそうした表現のスタイルを「対極主義」と名づけた。 》305頁

《 太郎は、この対立と矛盾をそのまま引き受ける自らの立場、「抽象的要素と超現実的要素の矛盾のままの対置」を意識的に強調して創造へと転換する方法を「対極主義」と名づけた。太郎の超現実とは、まさに相異なる二極の「対極」、その間に形づくられるものだった。
  有機と無機、具体と抽象、超現実と現実。二つの対立する表現原理の間に生起する吸引と反撥、愛と憎、美と醜という矛盾と不調和をそのまま生きること。 》306頁

《 狩猟採集社会は「未開」で、「野蛮」なものではなく、狩猟=動物の世界と採集=植物の世界を通底させる、豊かな世界だったのだ。人間、動物、植物の間に差異がなく、そのすべてに共通の生命が宿っている。 》308頁

《 狩猟採集社会は、物質的に豊かであると同時に、精神的にも豊かであった。そこでは、狩猟と採集、動物と植物が一つにむすびついていたように、日常の道具を作る職人と非日常の作品を作る芸術家もまた一つにむすびついていた。人々は日常の道具を自ら作り、聖なる神に捧げる作品を自ら作っていた。 》308頁

《 その壁画は、幼稚で稚拙なものではなく、すでに抽象と具象が相互に複雑な関係をむすび合うものであった。 》309頁

《 そして「太陽の塔」の地下世界に、その「古代」と「未開」を、一方においては「古代」狩猟採集社会の再現として、もう一方には「未開」の仮面と神像の集大成として、ともに自身の表現として実現することになる。太郎にとって、縄文の土器こそ、「未開」を通底させるものだった。だとするならば、「太陽の塔」とは、岡本太郎によって造形された新たな時代の縄文土器、表現の未来を切り拓いていくための縄文土器でもあったはずだ。 》310頁

《 しかもこの「驚くべき空間処理」がなされ、四次元への通路がひらかれた列島日本に固有の古代的かつ超現実的な「呪術的空間」の結晶は、世界に普遍の現代的かつ抽象的な「アヴァンギャルド芸術」と充分に比較可能な、「対極」の位置を占めているのだ──(引用者・略)ところで縄文土器に於ける空間処理はこれらのアヴァンギャルド芸術に比しても豪も劣らないばかりではなく、むしろ、より激しいのである」。
  ここに描き出された縄文土器の姿は、そのまま「太陽の塔」の姿に重なり合うはずだ。 》313頁

《 「空」としての広がりのなかに、超現実の世界、四次元への通路である聖なる樹木にして聖なる石を立てる。それこそ、太郎にとっての「太陽の塔」であったはずだ。 》316頁

《 「太陽の塔」は、岡本太郎による「呪術的思考」の集大成としてあった。 》317頁

《 太郎にとってマンダラとは、秘密にして純粋なるもの、絶対肯定にして絶対否定のもの、透明にして混沌としたもの、つまりあらゆるイメージが孕まれる「一切空」であった。 》320頁

《 「太陽の塔」は縄文土器であり、マンダラであった。理念であり、作品であった。時間と空間を消滅させ、再生させる「生命の樹」にして、「四次元」にひらかれた塔であった。 》325 頁

 安藤礼二『縄文論』作品社二〇二二年一一月一〇日第一刷発行、再読を終える。ふう。