マルクス・ガブリエル『アートの力──美的実在論』堀之内出版2023年4月28日 第一刷発行の再読を進める。最終章「補論 懐疑のアート、アートの懐疑」を読んだ。一市井人にはわかりにくい。とりあえず結びから。
《 私は哲学という営みを、概念を使った芸術的実験と捉えている。(引用者・略)哲学は概念詩(コンセプチュアル・ポエトリー)だと言ってもいいかもしれない。それは懐疑から始まり、アートに行き着く弁証法的議論の道筋を辿った結果として起きることだ。私自身の語りが自己言及的になるとき、哲学は、科学ではなくアートと繋がっていることが明らかになるのである。もちろん、科学もまた概念を使ったアートの実験であると考えるなら、話は別だが。 》 222-223頁
巻末の大池惣太郎「訳者解説」を読んだ。
《 しかし、本書『アートの力』を読めば、アートに当惑する経験は誰の身にも訪れるものだ。というのもガブリエルによれば、「どんなアート作品にも共通に備わる内容など存在しない」からだ。つまり、アートの存在論は作れないのである。 》225頁
アートの存在論。そりゃなんじゃ。『アートの力──美的実在論』再読終了。また読むかもしれない。
午前十時、広小路駅で『三島ゆうすい会 10周年記念誌』2001年9月発行を、大岡信を顕彰するグループの女性に手渡す。巻頭に大岡信の詩「三島奈良橋回想』。50頁に私の寄稿「なごみの川、癒しの川」。以下全文。
《 この十年は「失われた十年」と呼ばれていますが、私にとっては「復活の十年」です。東京オリンピック頃を境にして、源兵衛川のそれからの四半世紀は、私にとって心痛む時間です。川での水泳が大腸菌汚染を理由に禁止され、冬期の水の枯渇とともにどぶ川化が進み、それをなすすべもなく見ている自分が記憶の澱みから浮かんできます。
それでも夏期には水が少しは復活しました。川に人々の関心を取り戻そうと、夏には三ツ石神社横の源兵衛川の危険ゴミを取り、ます取り大会や蛍の観賞会を催しました。けれども、息切れがして永くは続けられませんでした。
川はもう駄目だと諦めかけた時、三島ゆうすい会の発起人会に声をかけられました。源兵衛川の修景整備にともなう三島ゆうすい会の発足とその後の活動は、特に源兵衛川を日本でおそらく唯一のなごみの川、癒しの川へと変貌させました。この十年の活動は、実に深い意味を歴史に刻んでいると思います。 》
1993年4月23日「源兵衛川を愛する会」設立総会。あれから三十年余。四代目会長の私はそろそろ引退の時と心得る。