『人生を愛するには』二(閑人亭日録)

 中村真一郎『人生を愛するには』、「VI 日本人のあり方について」を読んだ。以下抜き書き。

《 王朝物語に対する私の傾倒は生涯変らず、七十歳を過ぎて、このジャンルの発生から終焉に至るまでを、列伝体に数十篇について、世界文学のなかに位置付けて論じるという大著を完成したが、相変わらず読書界はその仕事に対して冷淡を極める反応をしか示さず、わが日本の読書人は、何という愛国心の稀薄な人種かと、私を慨嘆させたものである。(引用者・略)
  世界の代表的小説として、今日、評価の確定した『源氏物語』さえ、谷崎訳はその原作のモチーフである近親相姦の部分を削除して、ようやく出版が許される有様で、『狭衣』や『寝覚』さらには『とりかへばや』の同性愛賛美のデカダンス小説など、文学史の片隅に肩をすくめて小さくなっているより仕方なかった。
  「非国民」だった私は、「ものの哀れ」を日本文学の中心理念と信じようとしていたので、もっぱら色恋に関する物、閨房の匂いの強い物、頽廃の色の濃い物、繊細微妙な物に惹かれていた。 》105頁

《 ところが思いがけないことには、天皇の放送によって戦争終結を知らされた国民は、まことに静かにその現実を受け入れ、昨日まで「鬼畜米英」と斉唱していた民衆は、今度はアメリカの占領軍を日本の民主化のための「解放軍」として歓迎したのである。
  この一夜における、一国民の思想的変節ぶりは、私を予想したリンチから免れさせた点でありがたかったと同時に、同胞の思想的軽薄さに絶望を感じさせるものがあった。私は何のために十数年に及ぶ「非国民」待遇に甘んじて生きて来たのか、自らの志操を守ったことは、この環境のなかでは無意味ではなかったのか、と落胆した。 》107頁

 「VII 女性との付き合い方について」を読んだ。これは私の場合は、と縷々語りたくなるので引用は省く。
 「VIII 宗教的感情について」を読んだ。世界の宗教について知らなかったことがずいぶんあった。

《 こうして、私の「宗教的感情」の一生を振り返ってみると、私はやはり自分が現代日本という、極東の島国の民であるという思いを深くする。
  もし私が、西欧のカトリック国に生れていたら、おのずと私の宗教的感情は私をキリスト教の神のもとに導いたろう。もし、古代から中世にかけての日本に生れたなら、やはり躊躇なく仏教徒になったろう。
  しかし、二十世紀の日本は、宗教においても世界中の様々な種類の展示場の観を呈し、しかも、その底には遠い祖先の原始宗教、ギリシアの神々や、ヨーロッパのドルイド教の神と同じようなものが生き残って、日本人の魂を支配しつづけている。
  私たちは生誕を氏神に告げ、結婚式を教会で挙げ、葬式を寺院で行って怪しまない国民なのである。 》151頁

 昼まで晴れ間。午後三時大雨。一気に夕暮れの気配。夜、三島市周辺の市町村は全部「避難情報発令」。三島氏は発令なし。午後九時、小雨。

 ネットの見聞。

《 モネ「睡蓮」やピカソ作品はどうなる? DIC川村記念美術館が休館…背後に「物言う株主」がいた 》東京新聞
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/351230