午前三時、目が覚める。やや涼しい。書斎で 種村季弘『雨の日はソファで散歩』を少し読む。「文明開化とデカダンス」。
《 公務やビジネスの場のように、そこでなければならないという場所ではないから、場末の歓楽街は夢のなか以外のどこにも存在しない、エキゾチックなユートピアのデザインをまとう。もともと現実がイヤでここへきたのだから、夢みたいな場所であればあるほどいいわけだ。皮肉なことに、文明開化はさかさまになり、遊戯化、パロディー化されてようやく場末の歓楽街に生き永らえている。 》135頁
東京、大阪のテーマパーク。
午前四時。24.3℃。街を歩いてゆく人の声。再び寝床へ。
「生死まるごとの喜劇 山田風太郎を悼む」結び。
《 それは晩年の数年間にかぎったことではない。人間が「死に至る存在」であることを見きわめて余生を喜劇化するのは、子供がいい例で、三十歳でも八十歳でもさして変わりはない。人生をぜんぶ余禄、余生と見て、死までの一切を、とりわけ死を滑稽事として演じること。山田風太郎はすでにみごとにやり遂げた。われわれは今からでも遅くない。 》162頁
「敵のいない世界 鬼海弘雄『しあわせ インド大地の子どもたち』」。
《 『しあわせ』にはしかしもうどこにも敵がいない。いかなる防御の姿勢もない。生と死はほとんど対等に向かい合い、透明なヴェール一枚を隔てて両者は接しあい、死ですら攻撃し防御すべき敵ではない。 》165頁
「江戸と怪談 敗残者が回帰する表層の世界」。
《 自然主義というのは、疑似国家論とか、国家論の裏返し、反体制も体制の裏返しでしょうが、まあ、自然主義の変種の私小説も、一種のハンディーなミニ・ユートピアを自分で苦しんで書いているわけですね。
文学史というものが、そういうものを中心にまとめられていったので、そうではないものは大衆文学として切り捨てちゃったんだね。ところが、いまになってみると、いまも一種の幕末状態でグダグダになっちゃっているから、「なんだ、こっちのほうがおもしろいんじゃないか」「こういうものもありだったのか」というふうな感じに当然なってきますよ。 》178頁
上記178頁の引用に瞠目。美術史もこんなふうにならなくっちゃ、と思う。来年六月半ばに「味戸ケイコ、つりたくにこ 二人展」を近所の貸画廊で催す。童画と漫画の原画と本を展示する予定。半世紀ほど私が推してきた「現代美術」のお二人。たかが童画家(抒情画家)、たかが漫画家と言う勿れ。味戸さんは『日本美術全集 第19巻 戦後~一九九五』小学館に絵が収録。故つりたさんは、現代美術の殿堂、パリのポンピドゥー・センターの企画展で依頼され、マンガの原画三点を展示中。
晴れて残暑厳しい午後、冷房設定室温28℃の部屋で種村季弘『雨の日はソファで散歩』読了。今読んでよかった