『現代の美術 art now1先駆者たち』、高階秀爾「1 人間像の系譜」。
《 しかしながら、〈アヴィニョンの娘たち〉の持つ歴史的意味は、おそらくキュビズム(注:立方体主義)との関係のみに限られるものではない。歴史の里程標となる多くの名作がそうであるように、そこには、ひとつの時代の支配的な流れが集約的に示されている。 》8頁
《 事実、〈アヴィニョンの娘たち〉には、現実の人間の姿を忠実に再現しようとする試みも、それを理想化しようとする意図も見られない。 》8頁
《 つまり、この作品とともに、われわれは決定的に20世紀の人間像の入り口に立たされることになるのである。 》8頁
《 ひとつは「造形的」な流れであり、もうひとつは「表現的」な流れである。 》8頁
《 キュビズムのこのような厳しいまでの秩序への意思は、歴史的には、印象派の運動による写実主義の破産のもたらした結果のひとつである。印象派の画家たちは、故意に写実主義を否定しようとしたわけではない。 》17頁
《 モネたちは、(引用者・略)よりいっそう現実世界に近づく手段として光を画面に持ちこもうとした。そのようにして生まれたのが、彼らの色彩分割の技法である。したがって色彩分割は、印象派の画家たちにとっては、あくまでも自然を「再現する」ための写実的な技法だったのである。
しかし、この色彩分割は、結果として、「自然に向かって開かれた窓」を打ち壊すことになった。(引用者・略)晩年のモネのある種の作品にはっきりと見てとれるように、自然とは似ても似つかぬものになった。一口に言って、外界の再現を主要な拠り所とする写実主義は、破産させられてしまったのである。 》17頁
《 写実主義の破産は、印象派の次に続いた画家たちに、あらためて絵画とは何かという問題を鋭くつきつけた。 》18頁
《 それは、絵画が、自然の秩序とは違ったそれ自身の秩序を持つものであることを確認し、主張したものである。このようにして、20世紀絵画は、それぞれ何らかの意味で「ある一定の秩序」を追求することになる。対象をさまざまな方向から見た「面の集合」に分析し、それらの「面」をあらためて画面に再構成しようとしてキュビスムは、その最も重要な動きのひとつなのである。 》18頁
《 われわれは、ロダン以降の近代彫刻の歴史を見わたしてみる時、そこで意外に多くの画家たちが重要な役割を演じていることに気づかされる。ドーミエ、クールベなどの写実的画家たちをはじめ、特に印象派、後期印象派の画家たちは、ドガ、ルノワール、ゴーガンなど、彫刻史の上でも無視することのできない作品を残した。そしてさらに、フォーヴィズム(注:野獣派)、キュビスムの登場とともに、その傾向はいっそう顕著となり、この二つの運動の代表的存在であるマティス、ピカソ、ブラック等は、同時にすぐれた彫刻家でもあった。 》22頁
《 美学的に言えば、キュビスムの彫刻のもたらしたひとつの大きな成果は、空虚な空間の発見ということであった。 》28頁
《 このようにしてわれわれは、現代彫刻の示すさまざまの人間像に導かれていくこととなる。 》28頁