『現代の美術 art now6主張するオブジェ』二(閑人亭日録)

 『現代の美術 art now6主張するオブジェ』(第9回配本)講談社 1972年1月15日第1刷発行、東野芳明・編を開く。図版は昨日さらっと見た。今日は文章を読む。
 「はじめに」
 《 考えてみれば、人間はつねに何らかの物体に囲まれて生きて来た。原始時代の人間が道具を発明したとき、それは人間の生活や行為のために物体を征服した第一歩だったろう。(引用者・略)一方で、石や木が、謎をはらんだ恐ろしい自然の象徴としての呪物に祀りあげられ、人間は物体のなかに超人的な「霊」を感じた。自然の一部のものが、一方では、道具として征服され、一方では呪物として崇(あが)められたのが、人間と物体との最初の関係の二面性を示していた。
  人間と物体とのこういう関係は、産業革命が起こり、機械が発明され、物体が量産されるにいたる時代まで、ながい間続いたといってよい。このとき、物体ははじめて「自然」を離れて、人間のために最も都合よく、そして大量に製造する「商品」となった。 》6頁

《 しかし、第二次大戦後、「商品」は、さらに資本主義経済の膨張と大衆社会の情報過剰の中で、「広告」という情報ににすみずみまで侵され、非実体的なものにまでなってしまった。(引用者・略)そして、その製造過程や商品自体がかつての自然の暴力に代わって、「公害」をひき起こしているのは呪物的とさえいえるのである。 》6頁

 「1 物体と人間と」
《 物体と人間の関係を考えるとこ、マルセル・デュシャンの「レディ・メイドのオブジェ」のことを考えざるを得ない。(引用者・略)こういう日常的な言葉をそのまま流用したのは、物体にたいして日頃、無感覚になっている人間に、物体を別の角度から新しく見直すことを迫ることであった。用途を通して、なんらかの実用的な意味で人間とつながっている物体から、その用途を剥脱し、無意味な一個の物としてそれを見ること──それは、いわば、ひとつの物体が作られ、使用され、消費されてゆく過程が象徴している、社会体系自体を否定し、少なくとも、その埒外(らちがい)に身を置くことであった。(引用者・略)つまり、このレディ・メイドの選択は、けっして美的快感から導かれたのではない、ということである。(引用者・略)ここでぼくは、これがコップでも机でもなく、ほかならぬ便器であったことに、ひとつの決定的な意味を見たいと思う。 》8頁

《 抽象絵画は画面自体が外的現実とは独立した、一個の存在であると主張したが、その背後には、作者の内的宇宙が呼応していた。ポロックにいたって、画面は描くときの「現在」がそのままに定着され、何ひとつ背後に揺曳(ようえい)していない、現実の一個のものとなったが、それはこの世にこれまで存在しなかったという意味で、作者の発明品にほならなかった。ジョーンズは、もう一歩深く進む。恣意を排して稠密(ちゅうみつ)に描かれた〈アメリカ国旗〉は、それ自身、作者の見方が描き方に表れているという意味で、まぎれもないイメージとしての絵画作品である。と同時にそれは、本物の旗というオブジェそのものになったのである。これは、二次元の画面に純粋に二次元のイメージである旗、数字、アルファベット、地図などを厳密に選んだことによってなしとげられた。 》20-21頁

《 ジョーンズが本物のビール瓶や絵筆入れに無限に近づいてゆく「彫刻」をつくることで、本物から無限に遠い別のオブジェを生み出したのに対して、ラウシェンバーグは本物の山羊の剥製、本物のタイヤを作品の中にぶちこむことによって、そこから、まるで生き物のような別の力を引き出してくる。(引用者・略)いや、ラウシェンバーグは、デュシャンがかつて言っていたのにならって、絵具もまた、化学工業製品である以上、コカ・コーラの瓶と変わらないひとつのオブジェであり、さらには絵具を激しく塗った、抽象表現主義の色面もまた、ひとつの事実にすぎないことを立証してしまった。 》24頁

《 いま、ぼくらは「物資」という言葉が廃語になった時代に生きている。(引用者・略)原料生産である第一次産業は振るわず、もっぱら、加工や情報化を主とした第二次、第三次産業が主流となり、ぼくらはもはや「物資」と言う言葉のもつ、物体との直接な接触感を持たずに、広告によって浸透された情報としての「商品」を食べ、使用し、捨てるのである。 》60頁

《 ポップ・アートの作家たちは、人間の内部との関係を断ち切られた物体を、虚無の鮮やかな化粧を施された「商品」を、そのままに執拗に描き出す。まるで、それだけが唯一のフィード・バックの方法であるかのように。 》60頁

 午前五時前、ふっと目が覚める。夜が薄れている。冷涼。20.9℃。
 午前五時過ぎ、空が明るくなる。若い男性三人と若い女性三人がにこやかに話しながらゆっくり歩いてゆく。早朝の散歩だろうか。マラソンをする人。犬と散歩をする男性。職場へ向かう女性。皆健康的。
 始発の電車が行く。
 午前六時過ぎ、温かいミルク・ティーを飲む。旨い。トイレへ駆け込む。そうか、便意で目が覚めたのか。