『現代の美術 art now7 集合の魔術』(閑人亭日録)

 『現代の美術 art now7 集合の魔術』講談社 1971年7月25日第1刷発行、高階秀爾・編著、「はじめに」を読んだ。

《 現代芸術が、油絵具とかブロンズ、大理石というような古典的な材料だけに頼ることをやめ、プラスティックや、合金や、そのほか文字通りありとあらゆる材料を駆使するようになったことは、ここで新しく指摘するまでもない。
  しかし、そのような表面的な変化以上に、機械技術の発達は芸術の在り方そのものに大きな影響を及ぼした。それは、長いこと芸術制作の本質的な部分を形づくっていた「手づくり」の思想と、その思想に結びついた「一品制作」の神話を打ちこわしてしまったことである。 》6頁

《 そのように、機械および機械文明の持つ美が認められたということは、芸術におけるかけがえのない「一品制作」という考えを否定する重要な契機となった。(引用者・略)そしてそのことは、ひとつひとつの製品の形態表現のみならず、大量生産によって可能になった同一形態の繰り返しの生みだす独特なリズムへの意識と容易に結びつくものであった。(引用者・略)「集合の魔術」を生みだすひとつの源流は、このようなテクノロジー文明の勝利と深く結びついているのである。 》6頁

 図版をすーっと見て、解説を読む。
 「1 魔術的集合」
《 19世紀の初頭まで西欧において支配的であった古典主義の美学は、万人に共通する理想的な「美」というものを想定して、芸術はすべてその「理想の美」を手本として、その「理想の美」に近づかなければならないと考えた。すべての芸術家にとっての規準であるその「理想の美」との関連において、作品はその優劣を判定されるのであった。(引用者・略)
  このような絶対的、普遍的な美の観念に対して、ロマン派の芸術家たちは、もっと多様な、相対的な美を主張した。ひとつの規準のみによって決められる美ではなく、それぞれの作品にそれ自身で意味のある特異な美があると考えた。(引用者・略)その結果、「理想の美」という規準に代わって、独創的な、個性的な美の世界が、展開させられるようになる。 》8頁

 「2 集合の構成」
《 その基本的な「共通部分」に眼をつけた時、はじめて、我も人なり、彼も人なりという認識が成立する。十人十色のさまざまな人間を、「人間」という共通項でくくることによって、ひとまとめにして把握する(理解する)ことができるのである。
  だとすれば、われわれの精神の働きである「理解」の前提には、「理解されるもの」の多様性と統一性とがまず存在しなければならない。統一があるようで実はきわめて変化に富んでおり、千差万別のように見えて実はそこに統一性があるというのが、人間と外界との基本的なかかわり合いの方式である。 》57頁

《 その差異は、いわば視点の取り方の違いである。いずれの場合にも、その構造の基本は「集合」にほかならない。そして現代という時代は、芸術においてさえ、人間精神の特性を先鋭に、むき出しにしてみせてくれるのである。 》57頁

 「3 オブジェの集合」
《 さらに、「集合」と言っても、同一のイメージの繰り返しや、似たような単位要素の集積ではなく、オブジェとイメージを組み合わせた特異な例もここに集められている。(引用者・略)それは、絵画空間と現実空間とを「オブジェ」を通して結びつけることにより、これまで截然(せつぜん)と区別されていた芸術と現実とを、お互いに近しいものにするという機能を果たす。ここでも、「ポップ・アート」や「ヌーヴォー・レアリスム」の場合と同じように、日常的なものが容赦なく芸術の領域に侵入して、これまでの常識をくつがえすような新しい「芸術作品」の存在を主張している。現代においては、どうやら芸術が日常化すると同時に、日常そのものも芸術に近づきつつあると言ってもよさそうである。 》62頁

 「4 繰り返されるイメージ」
《 映像に溢れた現代において、実体とはいったい何なのだろうか。(引用者・略)まず実体があって、その影として映像が生まれてくるのではなく、実体そのもが無数に氾濫するイメージによってようやく支えられているのではないか。ウォーホールのイメ-ジの「集合」は、現実の持つ手応えがなくなってしまったわれわれ現代人の生き方を、痛烈にえぐり出して見せてくれるように思われる。(引用者・略)しかもわれわれの生活は、そのイメージによって成り立っている。繰り返しによる造形的なリズムと同時に、現代人の「人間の条件」を思い知らせてくれるところに、これれらの「集合」作品の意味があると言えるのである。 》82頁

《 そして、そのほかの作家たちをも含めて、その「集合」と「反復」の効果によって、われわれのなかにたまっていたものを解放してくれる。おそらくわれわれはここでは、何の理屈もなしに、その繰り返されるイメージのリズムに乗って、しばらくのあいだ現実のわずらわしさを忘れていればよいのである。 》103頁