『現代の美術 art now 別巻 現代美術の思想』講談社(第13回配本)1972年5月20日第1刷発行、高階秀爾・中原佑介 編を少し読んだ。
〔3〕ジャン・カスー「芸術と異議申立て」1968年発表
《 歴史の中に位置しているとは、時間の中に位置していることであり、そのことは運動を含むのである。変革を含むのである。変革は、現にあるものを批判し、ないものを誘発することによってなされる。(引用者・略)芸術があくまで繰り返しをはかることに絞られるならば、もはやそれは芸術ではなく、芸術の腐敗、アカデミズムである。 》84頁
《 創造の世界では、創造されたものはそれ自身創造であり、一切が創造である。
かくて、数を増し繁殖する創造、しかしそれは、忘れてはならないことだが、辛辣な批評を含めば含むほど、効力を増すのである。その辛辣さは、たんに言葉や理論で言い表されるのではなく、産み出された作品によって表される。 》86頁
《 芸術作品を理解するとは、それが真に一つの創造であることを自覚することである。それは、芸術作品の中に、その時代の公式的規範に対する反発と、別の物への渇望があることを自覚することである。 》87頁
《 従って、批評的、否定的な意思は、創造行為に固有のものである。創造行為の肯定的な力強さと射程距離を余すところなく把握するためには、この確実な事実をこそ認め、絶えず闡明(せんめい)しておかなければならない。このような条件によって、創造行為の発明と新しさと質は、その報いを得るのである。 》88頁
《 一枚の絵、一篇の詩の美しさを知るとは、そこに濃縮されているエネルギーを知ることである。このエネルギーは、はじめにそれを発生せしめた矛盾対立の力によってのみ潑剌としているのである。芸術の中にあらわれるこのエネルギーは、想像力という特別の名前をもっている。(引用者・略)想像力は世界を意味づける以上に、世界の生気を高揚するのである。 》89頁
《 それは時間の中で、空間の中で、生活の中で、諸条件の中で、従って矛盾対立の中で行われるのである。だから、それがいかに優美で夢のようで幸福にあふれていようとも、なにがしかの不一致を含む──それが想像されるものだという、まさにそのことによって──ことなしには、何も想像されるされることはないのである。
この不一致こそ、想像力に息吹きを与えるものである。(引用者・略)想像力は、全力をあげて、まだないものを形成しようと渇望する。だから、この渇望が、現にあるもの、そしてその際限のない延長が疲労と嫌悪と怒りを産むことしかできないようなものの拒絶に会って倍加するのは至極当然であり、むしろ必要不可欠なのである。従って、まだないもの、そしてつくられるものの中には、このような怒りがなにがしかあるだろう。 》89頁
秋晴れ
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