『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社を読み進める。「鮨とカメラと青年」。
《 私はヨーロッパで、白人の婦人たちが黒人の青年たちと腕を組んで街を歩いている風景をしばしば見た。道路にはみ出したカフェで白人女たちは、黒人の胸に頬をすりよせ、周囲の人びとは微笑してそれを見ていた。それは私にとって、恐ろしい風景だった。私はその美しい白人の女と、それを見ている群衆の中に、黒人に人種差別をしないヨーロッパの目を感じたのだった。彼らは、黒人を差別して見てはいなかった。彼らは、黒人を区別していた。人間と、テリヤや、九官鳥が違うように。
私はアメリカに一つの希望をもっている。それは、あの国に黒人に対する人種差別があるからだ。
アメリカの男たちは、白人の女の入浴を盗み見た黒人に、激しい怒りを爆発させるだろう。彼らは、その黒人に嫉妬し得るからだ。つまり、黒人を同じ人間と感じているに違いない。 》50頁
昔、彼のこのエッセイではないと思うが、その「区別」への深い洞察に感服した。
ネットの見聞。
《 芸術=創造とは、いまだ了解されない認識や知覚の領野を拡張していく営みであり、ゆえに芸術とは、「芸術」として名づけられ、回収され、制度化され、統治されてしまうことへの抵抗と逃走=〈アナキズム〉をあらかじめ内包している。 》URGT-B(ウラゲツブログ)
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