『わけもなくさみしかったら』(閑人亭日録)

 寺山修司詩集『わけもなくさみしかったら』サンリオ・ギフト文庫一九七六年十二月一日発行を取りだす。帯の惹句。
《 もうケストナーはいないから
  もう一つの人生処方詩集です 》
 最初の詩「ひとりぼっちがたまらなかったら」10頁の左頁には上野紀子の鉛筆画。詩の後半「だから私は/いつまでも一人ではない/そう言いきかせながら/一日中 沖のかもめをみていた/日もあった 》
 添えられた鉛筆画は、波打ち際にたつ男の後ろ姿とその先の海原と飛ぶ一羽のカモメ。最近部屋に置いて鑑賞している味戸ケイコさんの彩色鉛筆画『寒い日』1981年を連想。味戸さんの絵は、カモメを抱いている少女を正面から描いている、雪の舞う海辺。私は味戸さんの絵にぐっと惹き込まれる。

 http://web.thn.jp/kbi/ajie.htm
 岸田理生の解説の結び。
《 そして、演出家寺山修司がよく言う、
  「劇を探すことも、また、劇なのだ」
  と言う言葉に頷く時、
  「詩を探すことも、また、詩なのだ」なのかもしれないと、考えてみたりするのです。 》93頁
 つい、反応してしまう。
  「美を探すことも、また、美なのだ」なのかもしれない、と。

 午前、内野さんの付き添いで近くの病院へ。数か月前に玄関で躓いて右手首を粉砕骨折した。手術はせずに治癒する方法を医者は選んだ。少しずつ恢復しているが、完治は来年。お歳だから年を越す、と。まあ果報は寝て待て。待てば海路の日和あり。急いじゃいかん。いかんせん、これしかない。私の腰痛も年越し必至。これまた果報は寝て待て。が、仰向けに寝ると痛む。阿呆みたいな日々。天気晴朗なれど。