最初の一篇「船乗犬(ふなのりいぬ)」を読む。参った。傑作だわ。今宵読んで大正解。南の海で難破した船に乗っていた犬と若い船乗りの生還までを、その犬が語るお話。筋に関係なく、心に刺さった文。
《 犬はひとりの人間の友がいてくれれば満足します。けれども人間は、一匹の犬の友だちでは──少なくともそう長くは──満足できないのです。 》46頁
そばにいるインコを見つめる。
《 けれども、犬は、人間よりもさびしさに耐えられるのです。 》48頁
《 しかし、私はさびしくはなかったか?──いや、それはきかないことにするように願います。 》55頁
《 スヌーキー(引用者注:若い船乗り)はたったひとり、おいてきぼりになったと思って、とても力を落としていたにちがいありません。 》58頁
心にぐさりと刺さる、これらの語り。参ったなあ。出来過ぎな出合い。いや、何という僥倖。外は忘年会だろう。わいわい、とっても賑やか。年末だ。
午後二時、集中治療室へ彼女の娘さんと入室。もごもごと少し動いている。光明を感じる。看護婦さんの丁寧な説明を聞く。時間はかかるだろうが、じっくり待つ。
昨日書こうと思っていた東京新聞の記事、若松英輔「ハンセン病患者の沈黙のひびき」をすっかり忘れていた。冒頭。
《 『詩集 いのちの芽』が岩波書店から文庫化され、静かな、しかし止(や)むことを知らないかのような反響が続いている。 》
《 だが、それらの記述が物語っているのは、人間の生きた軌跡の真に意味あることは言葉では説明できないということなのかもしれない。
73人の詩人たちの作品を読むときも、同質の態度が必要であるように思われる。詩とは、語り得ない沈黙のひびきを世に送ろうとすることだからだ。 》
結び。
《 詩は自己や未知なる他者への手紙でもあるが、同時に過ぎ去ることのない永遠への呼びかけでもある。この詩集は、それを手にする読者にも同質のことができると促している。詩は読むだけでなく書けるのである。 》
全文紹介できなくて残念。