雪月花ふるまぼろしをとどめたる肩まさびしき生の稜線
照屋眞理子
雑誌『短歌』昭和五八年三月号、「第七十一回 公募短歌館 塚本邦雄 選」
に掲載された故照屋眞理子さん(初登場)の短歌が深く心に残る。読後、なぜかわからないが、心に深く沁みた。以後、ふっと浮かぶ。このとき「特選」に選ばれたのは
〈時の流れ(レール・デュ・タン)〉終(つひ)の一滴馨(かを)りたち掌上軽し一壜の虚無
中井英夫のミステリ小説『虚無への供物』を連想して息を呑んだこの歌の選後評で紹介された「雪月花…」の歌には別の感動を覚え、忘れ難い歌となった。そしてきょう、あらためて「生の稜線」が心に浮かぶ。そして、昨日話題の奥野淑子さんの木彫。それは「生の稜線」あるいは「生の描線」を見事に彫り込んでいる。息の詰まるような描線が目につく木口木版画だが、息を呑む美しい描線(彫刻線)は、彼女独自の卓越した技だろう、と私の管見ではそう思う。
しかし、世の中は広い。そのような卓越した技術を持つ作家は私が知らないだけで、いくらでもいるだろう。が、奥野淑子をはじめ、私の推すKAOSUの五人(北一明、味戸ケイコ、奥野淑子、白砂勝敏、内野まゆみ)は、技術以上に生(なま)の自然との接触、関りが他の美術家たちよりも独特で深い。それが作品に自ずから滲み出ている。そこが何よりの魅力。センス、感覚の領域になると、言葉ではうまく説明できない。私の視点からすると、近代~現代美術の多くは、人間社会に没入し、生(なま)の自然との接触は浅くて、私の関心を呼ばない。ただ、「ああ、そういうことね」と思うだけ。手元に置きたいとは思わない。