『精神の危機』

 ポール・ヴァレリー『精神の危機』岩波文庫2010年初版、前半の表題作以下をゆっくり日をかけて読んだ。 八篇どれもじつに深い省察=危機感に襟を正す気持ちになる。精神の危機、その渦中に私もいるのに気づかぬ、 と思う私がいる。気づいてはいるが、その危機の本質的な深みと広がりまで理解が届かないもどかしさ。

《 文学や哲学や美学の世界においては、将来、誰が消え、誰が生き残るかなどということを断言することは できない。 》 「精神の危機」11頁

《 恐らく、そうした自由は探しながら、創出していくべきものであろう。ただ、そのような探求をするためには、 しばらくは、集団の問題を離れて、考える個人の内部における、個人の生と社会生活との葛藤を研究しなければ ならない。》 「精神の危機」28頁

 「精神の危機」は1919年(大正8年)に発表。どの論考も今世紀、最近の発表と言われてもおかしくない。

《 意想外のことは予測されているのだ。よき方法とはあり得べきあらゆるケースに対する答えを持っていることだ。 そしてその答えは出来事や問題の突発性から最小の影響しか受けない。 》 「方法的制覇」75頁

 原発災害は想定外と逃げる学者、経営者、官僚。

《 機械が我々にとって有用に思われれば思われるほど、我々自身は不完全な存在となり、機械を手放せなくなる。 それが有用性の裏面である。 》 「知性について」91頁

《 ある種の人々によって体現されている精神に、社会がしかるべき場をいかにして与えるか、あるいは与えなければ ならないかという問題は、いつの時代にも、解決困難な本質的問題であった。 》 「知性について」106-107頁

《 かつてこれほど甚大かつ急激な変化を経験したことはなかった。地球全体が隅々まで精査され、探査され、 開発され、されには領有されるにいたった。 》 「『精神』の政策」113頁

《 この精神という名前によって、私は何らかの形而上学的な実体を意味するつもりはまったくない。 私が意味するところは、ごく単純に、一つの変換する力のことである。 》 「『精神』の政策」125頁

《 もっとも、現代世界の最も驚くべき特徴の一つは軽薄さである。次のように言っても、厳しすぎることは ないだろう。すなわち、我々は軽薄さと不安の間に引き裂かれた存在なのだ。我々はかつて人間が持ったことのない 興趣尽きないオモチャを所有している。自動車、ヨーヨー、無線、映画などである。 》 「『精神』の政策」153頁

 そしてインターネット。

《 我々は成熟する余裕を失ってしまっている。そして、もし我々芸術家が自らの内面を覗き見れば、そこに 見出されるものは、もはや、かつての美の創造者たちの美徳であった持続への意志ではない。上述した諸々の瀕死の 信頼感の中で、すでに消滅してしまったものの一つは、後世と後世の判断への信頼感である。 》 「『精神』の政策」 155頁

 成熟には程遠い我が身。熟成したウィスキーを呑んでも成熟はしねえなあ。成熟したと自覚した時は地に落ちる時。 後世には淡く期待している。無駄な期待かも知れんが、それがなければ生きている甲斐がない。

《 感受性・文化・理想の和合の原理を考えることは不可能ではないことがお分かりでしょう。感受性・文化・理想の 多様性はヨーロッパを定義するものであるが、多様なものが衝突すればヨーロッパは分裂してしまいます。その意味でも それらの和合が可能でなければなりません。その和合を支える原則は精神に対する信念と信頼感です。 》  「精神連盟についての手紙」159頁

《 私たちは存在の奥深いところにある本質的な静けさ、かけがえのない忘我の感覚を失ってしまったのです。 》  「知性の決算書」191頁

 たしかに。取り戻すために、遅すぎたかもしれないが、自然の中、街中に身を置き全身の皮膚感覚を研ぎ澄ます。 鍛錬するしかない。無駄かもしれないが。と記しても、いつまでも雲が去らぬどんよりとした天気。夏日のはずだけど、 どこが〜。シャツ一枚ではちと寒い、羽織ると暑い。中途半端にオツムもどんより。精神の解体危機だ〜。なんて 書いていて午後三時を過ぎた。出かけるか。知人女性から東京の某ギャラリーでの個展の相談を受ける。止めとけ、と 返答。止めることになった。美術界も危機を迎えている、いや転換期を迎えている感触。アメリカは言うまでもなく、 イギリスのサッカー、ロンドン市長選挙といい、番狂わせが世界中で起きている。今までのあり方では立ちゆかない。 それに気づくか否か、これからの別れ道。やっと面白くなってきた。

 ネットの見聞。

《 しかし、本展に漂う得も言われぬ空虚感は、特定の作品に起因しているだけではあるまい。それは、 自主規制する自己言及的な身ぶりが本展全体の印象を大きく左右しているからだ。 》 「キセキノセイイ── 「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展レビュー」 福住廉
 http://artscape.jp/focus/10122351_1635.html

《 そう考えると『キセイノセイキ』展は、その前の展覧会から既に始まっていたのだろう。まだ観ていないものの、 藤井光さんの作品は「空襲」を扱ったものだと聞く。ここまで書いてきたような理由から、あの場で発表する作品として 然るべきテーマ設定だと感じるが、紆余曲折ありほとんど物は無いらしい。 》 山川冬樹
 https://twitter.com/yamakawafuyuki/status/728586842971377664

《 これは話題作りというのではないようです。企画者側はかなり前から多くのトークを準備していたと聞きました。 が、いざ展示が始まると館からの許可がなかなか下りず、「キセイノセイキ」で想定していた以上の「規制」が 働いてしまった結果のようです。 》 椹木 野衣
 https://twitter.com/noieu/status/728746693471002624

《 大日本帝國憲法(明治憲法)こそ、当時の法律顧問だったドイツ人ロースラーの草案を翻案したもので、 純粋な国産憲法ではないのは、歴史的事実。この草案は国会図書館にある。
  明治憲法金科玉条と崇める間抜けさは笑うしかない。 》 小松崎拓男
   https://twitter.com/takuokomart/status/727813172980113409

 ネットの拾いもの。

《 三本の矢、新三本の矢、今までの放った六本の矢、いったいどこへ行ってしまったんでしょうね? 》

《 党大会でメイキングてんこ盛りの報告を聞いて、「てめえたちのウソ偽りはこの桜吹雪がお見通しでぇっ」 と人民服の諸肌を脱ぐ金さん。 》

《 トランプが大統領になったらカナダに移住するという人が多いが、自分はメキシコに行く。 そうすれば少なくとも自分とトランプの間には壁ができる。 》