格上 秘蔵品(閑人亭日録)

 昨日の日録で思い出した。北一明の盃『北幻想葆光耀変手びねり盃』の箱蓋の裏に「外国著名美術館収蔵作品/格上/北一明」と筆で書かれている。確かに品格もあり高級感がある。しかし、海外の美術館収蔵品は、彼の手元にある時にも見ていない。画集で見るだけで、私には判断のしようがないが、制作者にして批評家でもある北一明なら判断できよう。よくあることだが、作家が自賛するものには眉唾モノが多い、と思う。そんなことをしれっと書く私だが、北一明が自賛した焼きものを戸惑いや躊躇を見せることなく購入した。暗黙の紳士協定みたいなものだ。「私と君とは一心同体だ」と言われたときには耳を疑い、閉口した(おいおい、そんな関係じゃねえよ)。
 別の盃の箱蓋の裏に「北秘蔵品」と筆で記されているものがある。手にして眺める。うーむ、これが秘蔵品・・・。

 東京新聞、藤田一人・美術評「第8回横浜トリエンナーレ」は、見出しが「作品の魅力損ねる 言葉の氾濫」。同感。抜粋。

《 現在開催中の横浜トリエンナーレの会場を巡っていると、こんな言葉が浮かんできた。
  「ひとりのささやかな営みが時に世界を変えることがある…」と。 》

《 それらに通じるのは、社会の真の変革とは強力な主導者の偉業ではなく、個人個人のささやかな希望とそれに向けての日々の営みだということ。 》

《 まずは作品に目が惹かれ、さらに理解しようと解説を読むというのが常道だが、まずは解説を読んでからでないと分からない作品が多い。これは昨今の現代美術の特徴でもあるが、こうした”言葉の氾濫”が、視覚表現としての美術の魅力を損ねているのは間違いない。そうして人々の印象に残るのは、公的大型美術展の教条的性格となる。それも今日的問題の一つだろう。 》