2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

照屋眞理子さん (閑人亭日録)

ベケット、ブランショと続けて読んで過熱気味、一休み。丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士『文学全集を立ちあげる』文春文庫2010年初版を開く。ベケット『モロイ』が選出。 読もうかな、と思っていたブランショ『アミナダブ』は洩れている(『死の宣告』も)ので先…

『死の宣告』(閑人亭日録)

モーリス・ブランショ『死の宣告』を、講談社『世界文学全集 第99巻 バタイユ、ブランショ、ベケット』1976年初版で読んだ。1948年刊のこれはぐいぐい読ませる。 ベケットの『モロイ』『マロウン』では語り手同様、息も絶え絶えほどではないけど、読書は休み…

『マロウンは死ぬ』(閑人亭日録)

サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』を、講談社『世界文学全集 第99巻 バタイユ、ブランショ、ベケット』1976年初版で再読。ベッドで動けない老人の妄想とも 繰り言とも言える独白が延々と続く。 《 そうだ、老いぼれの胎児、それがいまのわたしだ。白髪…

『モロイ』ニ(閑人亭日録)

サミュエル・ベケット『モロイ』白水社1992年新装初版、後半「 II 」を再読。冒頭一行。 《 真夜中だ。雨が窓ガラスを打っている。私は落ち着いている。すべてが眠っている。 》 137頁 待っていたような文。仕事でモロイを見つけに出かける男と連れの息子。 …

『モロイ』(閑人亭日録)

サミュエル・ベケット『モロイ』白水社1992年新装初版、前半「 I 」を久しぶりに再読。冒頭一行目。 《 私は母の寝室にいる。 》 なぜ再読しようと思い立ったのか、わかった。 「 I 」の最後の場面になって以前読んだ記憶が甦った。 《 なぜかわからないが…

『夜のミッキー・マウス』(閑人亭日録)

川上弘美『大好きな本』文春文庫2010年初版の目次をぱらぱらと見ていた。斎藤美奈子『紅一点論』、荒川洋治『夜のある町で』、堀江敏幸『おぱらばん』、筒井康隆 『わたしのグランパ』等を、ああ、読んだなあ、須賀敦子『遠い朝の本たち』、河野多恵子『後日…

『わたしの旅はどこへ?』(閑人亭日録)

ヘッセ詩集『わたしの旅はどこへ?』サンリオギフト文庫1977年初版を読んだ。「枯葉」全編。 《 歩いていく私のまえを 風においたてられて とんでいく枯葉 さすらい 若さ 恋すること にも その時期と終りとがある 風のまにまに そちこちへとさまよっていく枯…

ピッツァ・パパドプーリ、発掘(閑人亭日録)

この一月毎日一回はギリシャのベテラン女性歌手ピッツァ・パパドプーリ Pitsa Papadopoulou のCD2104年を聴いている。表記は全部ギリシャ文字で全くわからん。 下記リストには2104年のこのCDは未掲載。未知の歌手、と思っていた、ついさっきまでは。 htt…

『生の昂揚としての美術』五(閑人亭日録)

大岡信『生の昂揚としての美術』大岡信フォーラム(花神社発売)2006年初版、多田美波、菅井 汲、宇佐美圭司、福島秀子、榎本和子、嶋田しづ、丹阿弥丹波子、 秋野不矩、曽宮一念ら画家、写真家村井修、建築家菅原栄蔵の紹介と批評を読んだ。福島、榎本、嶋…

『生の昂揚としての美術』四(閑人亭日録)

大岡信『生の昂揚としての美術』大岡信フォーラム(花神社発売)2006年初版、「日本の前衛絵画側面観─北脇昇をめぐって」1969年初出から。 《 北脇昇という画家が中村(義一)氏のいうように「一流ではない」画家であったにしろ、彼の描いた作品のいくつかは…

『生の昂揚としての美術』三(閑人亭日録)

大岡信『生の昂揚としての美術』大岡信フォーラム(花神社発売)2006年初版、「生の昂揚としての抽象絵画」1972年初出を読んだ。これは熱い。 《 当然、ひとつひとつの作品は、ある連続的な精神の「過程」の一断面という性質をおびるだろう。それはたえずよ…

 『生の昂揚としての美術』ニ(閑人亭日録)

大岡信『生の昂揚としての美術』大岡信フォーラム(花神社発売)2006年初版、「アルトゥングとアルトゥング財団」1998年初出を読んだ。 《 この国には、時間的により新しく生じたものは、より古いものより無条件に尊重されるという、近代日本人の民族的特質…

『生の昂揚としての美術』(閑人亭日録)

大岡信『生の昂揚としての美術』大岡信フォーラム(花神社発売)2006年初版を少し読んだ。 《 もう一つあります。それは「大地を踏み締めて描かねばならない。力というものは足から入ってくるからだ」ということばです。ほんとうにその通りで、上のほう ばか…

『大岡信詩集 丘のうなじ』(閑人亭日録)

谷川俊太郎編『大岡信詩集 丘のうなじ』童話屋2015年6月6日初版は布装の瀟洒な本。70篇ほどの詩が並ぶ、本文250頁のほどよい厚さ。4800円。 『自選 大岡信詩集』岩波文庫2016年4月15日初版は、130篇ほどを収録。本文350頁ほど。紙質が違うが、本の厚さはほと…

 『原子力時代における哲学』三(閑人亭日録)

國分功一郎『原子力時代における哲学』晶文社2019年初版、「第四講 原子力信仰とナルシシズム」を読んだ。 《 何故かと言えば、地球は生物用にはできていない、ましてや人間用にはできていないからです。地球は単に地球であって、人間用に作られたものではな…

『原子力時代における哲学』ニ(閑人亭日録)

國分功一郎『原子力時代における哲学』晶文社2019年初版、「第三講 『放下』を読む」を読んだ。 《 僕は原発をなくしたいと思っています。心の底からそう思っています。しかし、その論理を作るときに、何か危うい概念が入ってくる余地はないのだろうか。 「…

『原子力時代における哲学』(閑人亭日録)

國分功一郎『原子力時代における哲学』晶文社2019年初版、「第一講 一九五◯年代の思想」を読んだ。連続講演が元になっているので読みやすい。内容は深く鋭い。 《 リニアモーターカーはいったい何年研究されていたのでしょうか。やっと最近、実用化などと言…

『触手』再び(閑人亭日録)

小田仁二郎の小説『触手』(1948年刊)が、布団のなかでうつらうつらしているときに韻( rhyme,rime )とともに浮かんだ。韻は、先日まで読んでいた平倉圭 『かたちは思考する 芸術制作の分析』で取り上げられていた。「対談=伊藤亜紗×平倉圭 第3回 人間に…

田村鐵之助(閑人亭日録)

高級美術雑誌『國華』や審美書院の美術画集の木版画を手掛けた摺師田村鐵之助(1853-1925)。彼が手掛けた国宝『孔雀明王像』の複製木版画、皇室御物を見たい。 https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/chuugoku/item08.html その制作行程が記されてい…

 『かたちは思考する』六(閑人亭日録)

平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』東京大学出版会2019年初版、「第12章 複数の時間を躍る──岩渕貞夫・八木良太・蓮沼執太『タイム・トラベル』」 を読んだ。 《 ニ◯一四年一二月ニ三日一九時三◯分~、神奈川県民ホールギャラリーにおいて、岩渕貞夫…

『かたちは思考する』五(閑人亭日録)

平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』東京大学出版会2019年初版、「第8章 普遍的生成変化の〈大地〉 ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』」を 読んだ。『シネマ2*時間』とそこで取り上げられいる映画を知らない身にはただ読んだのみ。 《 …

『かたちは思考する』四(閑人亭日録)

平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』東京大学出版会2019年初版、「第6章 断層帯を貫く 『新熱海線丹那隧道工事写真帖』」を読んだ。 《 丹那トンネルは伊豆半島北部、滝知山と丹那盆地の下を貫き、東海道本線熱海駅と函南駅の間を結ぶ。全長七八◯四…

『かたちは思考する』三(閑人亭日録)

平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』東京大学出版会2019年初版、「第2章 斬首、テーブル、反光学──ピカソ《アヴィニョンの娘たち》」を読んだ。 『アヴィニョンの娘たち』、どこがいいのかわからなかったが、制作過程への見事に精緻な分析で納得でき…

『かたちは思考する』お休み(閑人亭日録)

「第1章 多重周期構造─セザンヌのクラスター・ストローク」で分析されていた『群葉の習作』(1900-1904年)を『セザンヌ』婦人画報社1996年で見る。 《 そこでは細い青と赤のタッチによって縁取られた黄と緑のタッチが、反復する色彩のパターンを構成してい…

『かたちは思考する』ニ(閑人亭日録)

平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』東京大学出版会2019年初版、「第1章 多重周期構造─セザンヌのクラスター・ストローク」を読んだ。 旧ブリヂストン美術館の『サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール』について。 《 「構築的ストローク」…

『かたちは思考する』(閑人亭日録)

平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』東京大学出版会2019年初版、「序章 布置を解(ほど)く」を読んだ。これは効く。交感そして好感。冒頭。 《 形は思考する。形には力がある。 紙の上に線を引く。線はすでに私を巻き込んでいる。感触が心を奪い、記…

六本指の天女(閑人亭日録)

午後、友だちに所望されて高級美術雑誌『國華』の古い号(明治後半)の何冊かをお見せした。『國華 第八拾五號』國華社明治二十九年刊に収録された彩色木版画 『吉祥天畫像』を見て彼女は呟いた。「指が六本ある」。あわてて確認。左掌に宝珠を載せた左手の…

『マン・レイの素描 自由な手・抄』(閑人亭日録)

本棚を何気なく眺めていると、え、こんな本あったのか、ラッキーと思う本がある。小体な一冊、『マン・レイの素描 自由な手・抄 ポール・エリュアールの挿詩』 瀧口修造訳ジイキュウ出版社、限定500部の105番1973年。15x13センチほどの簡潔な造本だが、瀟洒…

「加藤郁乎」(閑人亭日録)

「加藤郁乎(鑑賞=須永朝彦)」(『鑑賞現代俳句全集 第十巻』立風書房1981年初版、所収)を読む。久しぶりの再読。以前は気づかなかった視点に興趣を覚える。 《 さるにても、種々の方法論に立脚する『球体感覚』の諸句が、論理の桎梏を脱れて端正な「なつ…

『夢二の恋文』(閑人亭日録)

近藤富枝・監修『夢二の恋文』新風舎文庫2007年初版を開く。一言半句に気の利いたものがある。「第三章 恋の哲学」から。 《 今一歩といふ所で拒まれた。と彼は、私に話したが、私の見る所では、彼は第一歩において既に拒まれてゐたのだ。 》 95頁 《 彼女の…