2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「河東碧梧桐」(閑人亭日録)

加藤郁乎「河東碧梧桐」(『鑑賞現代俳句全集 第一巻』立風書房1981年初版収録)を読む。 《 世には碧梧桐ひいき、虚子嫌いの多いのも事実だが、「虚子は俳諧師四分七厘、商売人五分三厘」ばかりでは一向埒のあかぬ片贔屓片手落ち、それこそ「埒の外の人顔 …

河東碧梧桐の俳句(閑人亭日録)

27日の東京新聞「読む人」欄の石川九楊『河東碧梧桐 表現の永続革命』文芸春秋への関悦史の書評を読んで、加藤郁乎「河東碧梧桐」(『鑑賞現代俳句全集 第一巻』 立風書房1981年初版収録)を開く。 河東碧梧桐の俳句は読んだことがなかった。『現代俳句の世…

『空間へ』十(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を読む。 《 とすれば、この建物のなかにいわゆる建物という枠をふみきっていく、ひとつの手がかりのようなものをどれだけ仕込むことができただろうかというのが、 建物が完成した現在、問われるべきであ…

『空間へ』九(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を少し読む(時間がなかった)。 《 混沌とか不確定な事件の連鎖などと称したものを、情念といいかえてもいいではないか。情念が都市空間を埋めつくしていく情況は、文化大革命、ヒッピー、 キャンパス占…

『空間へ』八(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を少し読み進める。以下気になった箇所を少し。 《 空間はぼくらの外部にたしかに他者として存在するけれど、建築空間は外存するのではなく、ぼくらに知覚された全身体的な体験であり、意識の内部に仮象と…

『空間へ』七(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)、「座標と薄明と幻覚」を読む。 《 近代の建築家たちは、この一◯◯年間にわたって、ヨーロッパの都市改造案として、ひたすら緑を都市にもちこむことだけに莫大なエネルギーをついやしたとみても いい。 》…

『空間へ』六(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を少し読み進める。以下気になった箇所を少し。 《 私にとって興味ある問題は、イオニアの諸都市の計画からひろがった、碁盤目状のヒッポダモス式とよばれる町割りのパターンを彼らはなぜ強力に推進したか…

『空間へ』お休み(閑人亭日録)

某トラブルの対策に朝から外出。一段落した夕方帰宅。ふう~。夕飯はスーパーの寿司で間に合わす。磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)はお休み。 ネット、うろうろ。 《 量子超越というのはなかなかのパワーワードだなあ。しかしこのままい…

『空間へ』五(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を少し読み進める。以下気になった箇所を少し。 《 ポップ・アートと呼ばれる一種のアーティスト達の仕事がまったくアメリカ的な状況からうまれはじめていることもうなずけなくはない。彼らにとって重要な…

『空間へ』四/小泉喜美子(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を少し読み進める。以下気になった箇所を少し。《 空間は物理的形態ではなく、それが人間の行為と関係したときにはじめて存在するという認識は、必然的にフィジカル・パターンとアクティヴィティ・パター…

『空間へ』三/つりたくにこ(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を少し読み進める。以下気になった箇所を。 《 広告的建築である場合、かえってディテールの実験は大胆にできる。ディテール的、あるいはアクロバティックな形態も充分に広告的効果をあげうるからだが、 …

『空間へ』ニ(閑人亭日録)

磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を少し読み進める。 《 私たちには固定化し動かし難い空間は必要がない。《うごき》《かさなりあい》《からみあい》《のび》ていくような空間こそが、求められるべきである。 》 「現代都市における空間の…

『空間へ』(閑人亭日録)

一昨日、東京の林立する超高層建築群を見上げて違和感を覚えた。磯崎新『空間へ』美術出版社1979年8版(1971年初版)を開く。冒頭から惹き込まれる。 《 都市破壊業 あなたはこの奇妙なビジネスを笑ってはいけない。この会社は大真面目で存在している。この…

『昭和批評大系 5 昭和40年代』(閑人亭日録)

先だってバカ安で入手した『昭和批評大系 5 昭和40年代』番町書房1978年初版函帯付の月報、磯田光一「昭和四十年代私観」で正鵠を射ていると感じた箇所。 《 前置きが長くなったが、こういう視角から昭和四十年代をふりかえるならば、一九六十年代に準備さ…

『エトセトラ』ニ(閑人亭日録)

加藤郁乎『エトセトラ』薔薇十字社1973年初版、3章を再読。第3章の緒言と冒頭その他。 《 笑いは涙よりもさらに神々しい、 その上、さらに掴まえにくい。 バタイユ 》 《 電話が鳴っていた。もしもし、そうです、違います、を繰り返すのはやりきれないが、…

『エトセトラ』(閑人亭日録)

加藤郁乎『エトセトラ』薔薇十字社1973年初版、全3章のうち1章、2章を再読。第1章の緒言と冒頭その他。 《 あらゆる日々のなかで最も無駄になった日は、 われわれが笑うことのなかった日である。 シャンフォール 》 《 現実に先立ってゆく思い出のなかを…

台風の影響(閑人亭日録)

三島駅南口、三島市立公園楽寿園小浜池の水位。 10日 15センチ 11日 13センチ 12日 38センチ 13日 62センチ 14日 55センチ http://www.city.mishima.shizuoka.jp/rakujyu/kohamaike_current.html 台風の大雨の影響かな。でも、こんなに…

台風その後(閑人亭日録)

戦前の外国人の歌を聴いていてふと思い出し、歌手のKAZAMIをネット検索。十年以上前に引退しているようだ。ブックオフ三島徳倉店の店内放送で耳にして、 ドッキン。KAZAMIという歌手の『Only truth~夢じゃないキス』と知り、CDを購入。どうい…

台風一過 (閑人亭日録)

昨晩七時過ぎ、風が止んで台風の目に入ったかな?と夜空を見上げていたら携帯電話に緊急メール。 《 河川氾濫のおそれ 警戒レベル4相当 国土交通省 》 《 びっくりしました。19:44、スマホで狩野川氾濫の警報がなりました。本当にみなさん、無事でいてほし…

台風19号 (閑人亭日録)

昨日は十数人とバスで新東名を走り静岡市へ。雨は殆ど降らず傘いらず。帰りも上りは順調だったが、新東名の下り線は、東名高速下り線の清水と富士の間が高波で 通行止めの影響で沼津インターまでノロノロ運転。沼津インターへの進入路は車がぎっしり。10日の…

七年 (閑人亭日録)

朝、『歳月の鉛』のいくつかの誤字を訂正。一晩経つと見えてくる打ち間違い。 昨日引用した四方田犬彦の”七年間”に感応。先月十八日、青梅市立美術館の往復で挨拶を交わした福島泰樹氏の歌集『夕暮』砂子屋書房1981年を開く。 《 一九七◯年晩秋十一月より七…

『歳月の鉛』四(閑人亭日録)

四方田犬彦『歳月の鉛』工作舎2009年初版を読み進める。 《 森有正の死。(中略)彼の真摯な姿。その愚鈍なまでの拘泥。やはり私と同じ喘息の人であったかという思い。だが違和感は残る。わが身に降りかかる事件の裏側に、 つねに何かの感動や美が控えていな…

『歳月の鉛』三(閑人亭日録)

四方田犬彦『歳月の鉛』工作舎2009年初版を読み進める。 《 わたしがこの秘教的なゼミの末席を汚すことになったのには、二つの原因があった。一つは大学に入る直前のことであったが、『パイデイア』という雑誌に 南原さんが発表したヤコブ・べーメ論に、魂を…

『歳月の鉛』二(閑人亭日録)

四方田犬彦『歳月の鉛』工作舎2009年初版を読み進める。 《 一九六八年から六九年に絶頂を迎えた政治的高揚は、それ以後急速に消沈し、とりわけ一九七二年の連合赤軍事件の後ではそれと相前後して柳田國男の再評価が 始まり、これまで近代の近代の最先端を模…

『歳月の鉛』(閑人亭日録)

昨日、四方田犬彦『歳月の鉛』工作舎2009年初版をブックオフ沼津リコー通り店で100円で拾う。これは今読むしかない。彼は私より三歳年下(1953年生)。 《 今、わたしの机の上に二六冊の古びたノオトブックがある。 》 「ノオトを読む」 20頁 《 わたしはこ…

偏愛の作家(閑人亭日録)

先月末の巖谷國士のツイートは、ベルギーの画家ポール・デルヴォーの館訪問。 《 ポール・デルヴォーの晩年の家は、北海に面した静かな保養地にある。かわいい外観だが半地下もあって内部が広く、薄暗く、画家の作品世界に通じている。 展示作品も遺品も貴重…

 DIG、深耕、CULTURE(閑人亭日録)

昭和四十年代はジャズ喫茶が流行り「ジャズ日本烈島」とも呼ばれた。そのなかで一目置かれた店が、新宿東口の『DIG』だった。DIG=掘る。ジャズを聴く という行為は、DIG=掘ることと同義。当時のジャズ喫茶ではスピーカーからの大音量を前に低い椅…

ヤベ、不景気風が吹いている (閑人亭日録)

夏が過ぎて景気が悪いことを実感。我が家から徒歩五分圏内だけでここにきて閉店が続く。履物屋、居酒屋、洋服店、クレープ店、カフェ、貸衣装店・・・。 閉店した店に新しい店が入居すればいいけど。去年までは新陳代謝が早かったけど、今年は雰囲気が違う。…

風雲・田島志一 (閑人亭日録)

田島志一の審美眼に興味を覚えるが、彼の人生も興味をそそる。ネット情報から。 《 「日本仏教真美協会」は『真美大観』を刊行するためだけに結成された団体であったため、この時点で解散し、光村のもとで新たに「大日本真美会」が創立されました。 理事長には光…

『文人畫三大家集』(閑人亭日録)

田島志一編輯『文人畫三大家集』審美書院明治42(1909)年刊を開く。『真美大観』と同じ大きさ。昨日の『本朝三十家名畫集』國華社、『光琳派畫集』審美書院より 一回り大きい。與謝蕪村、田能村竹田、渡邊崋山の三人を収録。「緒言」結び。 《 本書は三大家…