2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』「第十章 西田哲学と日本の社会科学」の注。《 弁証法を換喩的な〈言語の論理〉とするとらえ方については、もっと詳しくは、拙著『共通感覚論』第三章第5節を参照。 》 347頁 『共通感覚論』岩波現代選書1979年初版、…
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第二部 第九章 〈場所の論理〉と〈天皇制の深層〉」を読んだ。《 先に私は、世界の諸神話にある宇宙創成論には、その発想の基底に(1)〈つくる〉と(2)〈うむ〉と(3)〈なる〉という三つの基本…
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第二部 第八章 〈場所の論理〉と〈演劇的知〉」を読んだ。《 しかし場所とは、右に見てきたもの──〈存在根拠や基体としての場所〉──だけに尽きない。少なくともそのほかに、〈場所としての身体〉、〈…
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第二部 第七章 歴史的形成作用と芸術 ──西田幾多郎のポイエシス論をめぐって」を読んだ。《 したがって西田では、〈行為的直観〉は、これを直観面からとらえるときには共通感覚になり、逆に行為面か…
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第二部 第六章 〈場所の論理〉の彼方へ(パリ討議版)」を読んだ。《 制度は、固有の法則あるいは論理を持ってきます。それは、人間の意志によって設定されたものですが、ひとたび設定されると、規範…
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第五章 恥の文化と非寛容」を読んだ。《 民族的・宗教的対立の、つまりは非寛容のなによりの怖ろしさは、どんなに小規模の小競り合いであっても、最終的には自分の死に世界を道づれにするおそれがあ…
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第四章 誠という道徳的価値について」を読んだ。《 それにしてもなぜ、これほどまでに〈誠〉の儒学が大勢を占めたのであろうか。 それについて相良亨は、こう説明している。徳川時代においてもしも倫…
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第三章 隠されていた儒教と道教」を読んだ。《 墓参りや先祖供養は、通常われわれが思っているように、本来の仏教的なものでもなければ、日本固有の民俗信仰に基づくものでもないからである。 》 94…
中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版を少し読む。《 このように心のあり方というものは、意のままにならない。(中略)およそ人の心というものは、もともと善でも悪でもないけれども、善にもなれば悪にもなる。 人の心根は業縁によって簡…
昨日話題の『The Sky is Blue with a Single Cloud』。巻末の見返しにこんな注意文。ここまで凝っている。《 This book is presented in the traditional Japanese manner and is meant to be read from right to left.The cover at the opposite end is con…
故つりたくにこさんの夫、東京の高橋氏からカナダの出版社から七日に出た作品集『The Sky is Blue with a Single Cloud』(空は青空 雲一つ)が届く。開封して ビックリ。紙質が良いので印刷が鮮明。四、五十年ほど前の漫画なのに最近描かれたように鮮やか。…
今朝の新聞折り込み広告、某霊園の惹句「近代的で明るい施設の数々が皆様をお迎えいたします」。「近代的」ねえ。美術は近代美術、現代美術と区別。現代的ではない、 をどう解釈するか。この惹句、老人ホームにもそっくり使われそう。そうか、「明るい」が強…
昨日届けられた、建設会社の知人が業界紙に連載している最新記事「意図的に流布された国旗の由来」が興味深い。《 それではフランス国旗が、いつから、どうしてこの三色になったかといえば、こちらにも誤った通説が流布されている。 つまり、フランス国旗の…
東京新聞「今日の運勢」は”人の呼吸は昼夜問わず動き続ける。身体に感謝して労わるべし”。朝の一仕事をしたらなんだかお疲れ気分。当たり~。横になる。昼前、 激しかった雨が止む。動き過ぎてはいけない。どっかで聞いた文句だな。 午後、私信をポストへ投…
ジャズファンにはよく知られた歌手ビリー・ホリデイとサックス奏者ジョン・コルトレーンの祥月命日。といってきょうは聴く気がしない。 昨夜、風呂上りに牛乳をグイグイ。それから食器棚からおもむろにヴィンテージ物のリキュールグラシを取りだす。若い頃気…
思いがけない晴天。布団も洗濯物もよく乾く。用事が済んだ昼過ぎ、友だちと源兵衛川~白滝公園を巡る。暑いが木陰を吹く風は心地よい。どこも湧水がいっぱい。 現兵衛川最上流部の飛び石は完全に水没。通行禁止のロープが張られている。子どもの頃を思い出す…
きょうの東京新聞の連載記事、つのだ☆ひろ『この道』68回は、「浅川マキ 4」。《 彼女いわく、ベッシー・スミスやビリー・ホリデーは好きだが、サラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドにはあまり興味がない。ハイレーベルのオーティス・クレイ はいいけ…
昨日恵投にあずかった照屋眞理子遺作句集『猫も天使も』角川書店2020年を読んだ。軽快に飛び跳ねるテニスボールのような俳句。ガットで受けるとずしんと重い手ごたえ。 帯に十五句掲載されている。私の選んだ好みの俳句とは重ならない。こちらは良し悪しわか…
石上玄一郎『精神病学教室』1942年発表を、第三文明社レグルス文庫1980年初版で再読。ぐいぐい惹き込まれ、一気読み。戦時中の発表とは、にわかに信じがたい。 「あとがき」から。《 これは昭和十七年十月の「中央公論」に発表されたが、(中略)戦争中に、…
『全集・現代文学の発見・第八巻 存在の探求 下』學藝書林1968年初版、月報2、対談石上玄一郎・遠丸立「人間の自由と自殺」に弘前高校の時に一緒だった太宰治が 話題になっている。《 まあしかし、そのうち文芸部に入ったので、いろいろ話し合うようになり…
昨日の梅崎春生『幻化』が阿蘇山噴火口が最後の舞台だったので、石上玄一郎『自殺案内者』を『全集・現代文学の発見・第八巻 存在の探求 下』學藝書林1968年初版で 再読。1951年の作。ビルマの過酷な戦役からの復員帰りの語り手は敗戦後、伊豆大島の宿の客引…
梅崎春生『幻化』を読む。日本文学全集の類でもっていると思っていたが、結局見つからず、『全集・現代文学の発見・第五巻 日常のなかの危機』學藝書林1968年初版 収録で読んだ。時は戦後二十年。四十過ぎの男が東京の精神病院を抜け出し、羽田から鹿児島へ…
なぜ味戸ケイコさんの絵と北一明氏の焼きものに惹かれ、拘るのか。味戸さんの鉛筆の黒の抜けるような色彩、北氏の一瞬の光芒を魅せる釉薬の色彩。味戸さんの黒には 椹木野衣の文章を。《 実際、イラストレーターとして知られてきた味戸の原画は、印刷にかけ…
先だって読んだエリザベス・グロス『カオス・領土・芸術』法政大学出版局2020年初版を飛び飛びに再読。なぜ深く共感し、元気づけられたのかよくわかる。《 すなわち芸術は、質料が共振すること、質料が質料以上のものになることを可能にするのでである。これ…
種村季弘『徘徊老人の夏』ちくま文庫2008年初版を読む。氏、六十四歳の刊。そうかあ、そんな歳で徘徊老人かあ。私よりも五歳も若くて、と思っていたが。いやいや、 氏の人生の経験の桁違いの深さを読了して気づく。やはり私は青二才を卒業したばかりだ。青二…
エリザベス・グロス『カオス・領土・芸術』法政大学出版局2020年初版、「第一章 カオス──コスモス・領土・建築」を読んでまず浮かんだのは、私の古い拙文。 1993年7月に書き上げたエッセイ『創造の「書」「書」の創造』。北一明氏から書について書いてくれと…
エリザベス・グロス『カオス・領土・芸術』法政大学出版局2020年初版、「第三章 感覚──大地・民衆・芸術」を読んだ。《 あらゆる芸術作品は、形式やジャンルや技法においてどれだけ区別されるにせよ、共通の何かをもっている。すなわち、芸術作品はすべて、…
エリザベス・グロス『カオス・領土・芸術』法政大学出版局2020年初版、「第二章 振動──動物・性・音楽」を読んだ。《 カオスとは生命の対象でも生命が交戦するものでもなく、生命の条件であり、生命を挑発するものである。すなわち生命とは、カオスが本来も…
昼寝から覚める。昨日購入したエリザベス・グロス『カオス・領土・芸術』法政大学出版局2020年初版を手にし、「第一章 カオス──コスモス・領土・建築」を読んだ。 にわかに覚醒。《 私の目標は、芸術のための非美学的な哲学を、つまり芸術にのみふさわしい哲…
鶴見俊輔・編『老いの生きかた』ちくま文庫2010年5刷を読んだ。《 山本夏彦が、レイチェル・カーソンの著『沈黙の春』にふれて書いた評論に、この本の論旨に共感をもちながらも、その行文がひらたくなっているという批評があり、 それはおそらくカードをあら…