2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『死霊 七章《最後の審判》』三(閑人亭日録)

《 おお、「自己存在」! さて、いま、ここに、ようやく在ることになったその「自己存在」こそは、長い長い驚くべきほど長い「物質連鎖」の過酷な分離と結合のなかで積みに積みあげられつづけてきた重い重い「存在の苦悩」にその何かを絶えず圧しつぶされな…

『死霊 七章《最後の審判》』二(閑人亭日録)

弾劾はサッカ(釈迦)へ向けられる。そして。《 おお、イエスに食われてイエスとなったガリラヤ湖の大きな魚よ、「説きおおせなかった」釈迦をこそ弾劾すべきであった小さなチーナカ豆よ、「死のなかの生」から生物史はじめて不毛の荒地の高い枯れた樹へと向…

『死霊 七章《最後の審判》』(閑人亭日録)

埴谷雄高『死霊 七章《最後の審判》』講談社 一九八四年一一月二六日 第一刷発行、前半を読んだ。復活したイエスへの弾劾が延々と述べられる。《 いいかなイエス、死を怖れて、新しい生へと『復活』したところのそのお前がまだ飢えつづけて、まず真っ先の振…

書類の補充(閑人亭日録)

確定申告の提出書類に不備があり、郵便局、銀行、不動産屋と巡り、会計事務所に電話。書類の補充が片付き、やれやれ。くた~。あとは休息。オツムが過熱。恢復途上の身にこたえるわ

『死霊 六章《愁いの王》』(閑人亭日録)

一日冷たい雨。埴谷雄高『死霊 六章《愁いの王》』講談社一九八一年九月八日 第一刷発行を読んだ。深い夜の場面から一転、晩夏の海に近い河に浮かぶボートでの出来事が綴られる。間奏曲のよう。

和のミニマルアート(閑人亭日録)

晴天。風が少し強い。冷たい。洗濯物を慎重に干す。回復途上の身。しみじみ。二週間ぶりに掃除機を使う。ゆっくり動かす。和室の二部屋だけで終了。珈琲で一休み。床の間に掛けてあるA4版の厚板の下半分を藍染めの液に漬けた作品を鑑賞。藍染めの試作に使…

『風一つ』(閑人亭日録)

冷たい雨の一日。ぼんやりと過ごす。病院では無為にすごすことがつらかったが、自宅ではそんなことはない。狭い書庫で三方を本に囲まれて背文字を読んでいるだけでこころが和む。・・・しかし、探している本が見つからない。小体なライト・ヴァースのアンソ…

帰還(閑人亭日録)

7日昼前救急搬送されて入院した病院を退院、帰宅。入院中に埴谷雄高『死霊』講談社一九七六年四月二十二日 第一刷発行を読了。第一章から五章を収録。病室で退屈と鬱屈を紛らわすにはうってつけ。無窮の夢魔の世界を引き摺り回される印象。好悪が分かれるだ…

『死霊』二(閑人亭日録)

以下、七日の日録。 埴谷雄高『死霊』を初めて読んだのは、『全集・現代文学の発見 第七巻 存在の探求 上』学藝書林 昭和四十二年十一月十五日 第一刷発行 でだった。その本はどこかへ行って、本棚にはきれいな状態の翌年の二月一日発行がある。挟み込みの小…

『死霊』(閑人亭日録)

埴谷雄高『死霊』講談社一九七六年四月二十二日 第一刷発行を少し再読。「自序」にこんな文。《 私はついにせめて一つの観念小説なりともでっち上げねばならぬと思い至った。やけのやんぱちである。けれども、その無謀な試みの如何に嬴弱なことであるだろう…

来し方、この先(閑人亭日録)

寒々とした雨の暗い一日。用もなく、来し方、この先をぼんやりと思う。この二か月、積年の疲れを癒していたような。二月に入っても同じような気分。壁三面を埋める本棚を眺める。文学~ミステリ~人文科学~美術本などなど。古くはホメロス『オデュッセイア…

田島志一の関わった美術本(閑人亭日録)

雨の日は家でゆっくり。 審美書院と田島志一を調べるに当たり、参考になる二つの記事。 山口須美『明治期の写真・印刷と出版事情 ―付・コロタイプ印刷の実際―』 http://www.artbooks.jp/Korotaipu.htm 山崎純夫『【田島志一と審美書院】』 http://web.kyoto-in…

苦行の確定申告(閑人亭日録)

確定申告の書類のコピーを取りに外出。コピーし忘れ再び出かけたり、なんとか整理し、税理事務所へ郵送。ふう~。こういう整理作業、イチバンの苦手。書類は少ないんだけど、苦行。ふう~。そういえば整理を待つ本がダンボールに・・・。見なかったことにし…

自律する色彩と形態(閑人亭日録)

描く対象からの色彩の自立そして自律。それが印象派の始まりではないか?とふと思い浮かんだ。写真が発明されたから印象派が生れた、と美術史では語られるが。教科書的な美術史認識ではなく、我流の思いつきが浮かんだ。そして対象の形態からの自立そして自…

金にもならぬこと(閑人亭日録)

K美術館、貸ギャラリーでの展覧会を「物好きだねえ」。源兵衛川のゴミ拾いを「金にもならぬことをして」と言われる。どちらにも「ただの自己満足」という冷笑がある。そういう輩には関わらず放っておく。それが私流の生き方。美術の展覧会は私的(野心ある)…