2021-03-01から1ヶ月間の記事一覧
山崎正和『哲学漫想』中央公論社2021年初版、「哲学漫想3 リズムの哲学再考──反省と展開への期待」を読み出して本を置く。じつに興味深い書き出しだが、 気力が全然湧かない。こんな日もある。 去年源兵衛川を案内した某大学院生からメール。修士過程を終了…
山崎正和『哲学漫想』中央公論社2021年初版、「哲学漫想2 ショーペンハウアーの冒険と逡巡──『意志と表象としての世界』精読」を読んだ。《 そう思ってショーペンハウアーの発言を虚心に読めば、彼はここで実在する主観、能動的にものを思う主観などどこに…
山崎正和『哲学漫想』中央公論社2021年初版、「哲学漫想1 味覚の現象学」を読んだ。扁桃腺にできた癌を放射線照射で治療し、治癒後の副作用(味がわからない)に 悩まされて浮かんだ発想がじつに興味深い。《 かねて力説してきた通り、リズムにとって決定的…
ビル・エヴァンス(ピアノ)、ジム・ホール(ギター)二人の演奏『UNDERCURRENT』1959年録音をLPレコードで聴く。六十年前とは到底思えぬ素晴らしいジャズ。 不朽の名演。 https://www.hmv.co.jp/artist_Bill-Evans-Jim-Hall_000000000002111/item_Undercu…
朝から音楽漬け。BOSEのスピーカー55WER黒をずっと使っているが、昨日の接点の磨きで音がさらに鮮明になり、この一年余りギリシャ歌謡のライカばかり 聴いていたけど、他の音盤を聴きたくなった。まずはレコード盤でジャズを。テナー・サックス、ピ…
西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版、「附論 非可換確率論から合理性のより深い次元を探る 」を読んだ。《 ここで、本文において述べた「非可換確率論」のエッセンスを思い出すならば、…
西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版、「第五章 〈自由〉から現実を捉えなおす ─ 決定論から非可換確率論へ」後半を読んだ。《 むしろ、量子レベルの現象と人間レベルの現象が十分に異な…
西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版、「第五章 〈自由〉から現実を捉えなおす ─ 決定論から非可換確率論へ」前半を読んだ。《 本章ではこれまでの議論を踏まえ、いわゆる「決定論」につ…
西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版、「第四章 置き換え可能性から自由へ ──現実論の ポテンシャル」後半を読んだ。《 われわれが何らかの端的な断言を「正しい」と思うとき、その背後に…
西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版、「第四章 置き換え可能性から自由へ ──現実論の ポテンシャル」前半を読んだ。《 第一章では、[中略]「不定元」というものが、われわれの「現実」…
西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版、「第三章 「現れること」の理論 ──現象学と圏論」 を読んだ。《 われわれの考察の成果は、数学を取り上げることなしには得られなかったものである。…
西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版、「第二章 「数学」とは何をすることなのか ── 非規準的選択」を読んだ。《 何かを選ばなければならないが、一義的に決まるわけではない選択を、ここ…
西郷甲矢人(はやと)/田口茂『〈現実〉とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』筑摩選書2019年初版を少し読んだ。《 もちろん、これが「現実」についての唯一の原理であると主張するつもりはない。しかし、かなりの程度普遍的な原理ではないかとわれ…
昨日読了した『情念の経済学 タルド経済心理学入門』は、1902年に刊行されたガブリエル・タルド『経済心理学』の解説として書かれたもの。タルドは1904年に 亡くなっている。没年の1904年から連想。1904年とは、日本の美術史では創作版画誕生の年。季刊雑誌…
ブリュノ・ラトゥール、ヴァンサン・A・レピネ『情念の経済学 タルド経済心理学入門』人文書院2021年初版、「第三章 摂理なき経済」を読んだ。《 ところで、タルドにとって、摂理は存在しない。これは本書の中心であり、すべてがこの結節点に向かって収束し…
ブリュノ・ラトゥール、ヴァンサン・A・レピネ『情念の経済学 タルド経済心理学入門』人文書院2021年初版、「第二章 経済学の本質」を読んだ。平易な文章だけれど、 内容豊富、濃密で、付箋が林立。ゆっくり読んでも理解が追いつかない。我が非才を痛感。が…
ブリュノ・ラトゥール、ヴァンサン・A・レピネ『情念の経済学 タルド経済心理学入門』人文書院2021年初版、「第一章 経済は主観的であるからこそ数量化できる」を 読んだ。《 非常に古典的なやり方で、タルドは価値を定義することからはじめる。しかし、す…
ブリュノ・ラトゥール、ヴァンサン・A・レピネ『情念の経済学 タルド経済心理学入門』人文書院2021年初版を少し読む。《 19世紀フランスの社会学者ガブリエル・タルドが記した大著『経済心理学』(1902年)は、近代経済学の可能性を徹底的に押し広げようと…
伊藤亜沙『手の倫理』講談社選書メチエ2021年5刷、「第6章 不埒な手」を読んだ。《 ふれる側は、相手がどういうリアクションを起こすか分からないまま主導権を握り、ふれられる側は、相手がどういうふれ方をするのか分からないまま主導権を渡す。 しかし、…
伊藤亜沙『手の倫理』講談社選書メチエ2021年5刷、「第5章 共鳴」を読んだ。《 共鳴は、自分でないものによって動かされることを許している人どうしのあいだでのみ起こるコミュニケーションです。 》 175頁 午後、静岡県庁へグラウンドワーク三島の面々と行…
伊藤亜沙『手の倫理』講談社選書メチエ2021年5刷、「第三章 信頼」を読んだ。《 相手が他者であるかぎり、不確実性は常に存在します。本当の「安心」がやってくるのは、この不確実性が脳裏から消えるときです。不確実性を乗り越える「信頼」から、 それを意…
伊藤亜沙『手の倫理』講談社選書メチエ2021年5刷、「第二章 触覚」を読んだ。《 議論に入る前に確認しておかなければならないのは、西洋の触覚論には偏りがあった、ということです。すなわち、触覚が語られるときには、石や木のような物を対象と した触覚が…
伊藤亜沙『手の倫理』講談社選書メチエ2021年5刷、「序」「第一章 倫理」を読む。参ったなあ。大当たり。《 同時に私は愕然としました。自分がそれまでいかに「人に身をあずける」ということをしてこなかったか、ということに気づかされたのです。 》 「序」…
心身は太陽エネルギーで動いているみたい。寒々した雨。弱いオツムも体も、さらに動きが鈍くなる。外出する意欲も湧かず。晴耕雨読ならぬ晴読雨睡。 森下千里、森高千里。区別がつかん。 ネット、うろうろ。《 自分の体調などお構いなしに月曜は来る 》 m-ta…
ミシェル・フーコー(フレデリック・グロ編)『性の歴史 IV 肉の告白』新潮社2020年初版、「補遺」を読んだ。『性の歴史』全四巻、読了。《 キリスト教は、〈教会〉として、人間の「振舞いを導く」ことのできる一般的権力を創始したのだ。この権力は、古代世…
ミシェル・フーコー(フレデリック・グロ編)『性の歴史 IV 肉の告白』新潮社2020年初版、「第三章 結婚していること」後半「2 結婚の善、その複数の善」 [3 性のリピドー化]を読んだ。《 処女・童貞性は結婚に優っているが、結婚は悪ではないし、処女・…
ミシェル・フーコー(フレデリック・グロ編)『性の歴史 IV 肉の告白』新潮社2020年初版、「第三章 結婚していること」後半「2 結婚の善、その複数の善」を 読み始めた午後、造形作家の白砂勝敏さんが来訪。先週訪問した二階のアトリエと展示作品の感想を奥…
ミシェル・フーコー(フレデリック・グロ編)『性の歴史 IV 肉の告白』新潮社2020年初版、「第三章 結婚していること」前半「1 夫婦の義務」を読んだ。《 古いキリスト教において、結婚に関する論説は、処女・童貞性に関する論説がそこに見いだされるのと同…
昨日圧倒されたミシェル・フーコー(フレデリック・グロ編)『性の歴史 IV 肉の告白』新潮社2020年初版、「第一章 新たな経験の形成」から少し抜き書き。《 「あなた方の一人ひとりが赦しを得るために洗礼を受けるようにしなさい。」洗礼は、二世紀まで、「…
ミシェル・フーコー(フレデリック・グロ編)『性の歴史 IV 肉の告白』新潮社2020年初版、「第一章 新たな経験の形成」を読んだ。 二百頁近い一章前半をふむふむと読み進める。そして後半、「4技法中の技法」に至り、圧倒的な熱量と密度に気圧される。「I …