2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧
昼食後、二階の窓から広小路踏切を眺めていたら、踏切の向こうのバス停を見ていた老人がころっと倒れた。近くにいた人たちが駆け寄る。男性が携帯電話で救急車を 呼んだよう。別の男性は近くの交番へ。私は現場へ向かう。駆けつけたおまわりさんに目撃情報を…
きょうも休養。 ネットの宣伝で「著名なアーティスト」って出てくるけど、著名なアーティストの作品は欲しくないわあ。欲しい人、いるのかな?と思ったが、いるようだ。はあ。私は 名前よりも作品。著名なアーティストの二級品ではなく、著名でないアーティ…
昨日のお出かけで初めて目にした身延山の日蓮宗総本山久遠寺。巨大な山門、広大な空き地=駐車場。無駄にデカイとは言えないが・・・。往事茫々。 人様と快く会話交わすのは一苦労。連日人様が気持ちよく会話できるように気を遣った。きょうは独りで呑気に寝…
朝、知人夫妻の車に友だちと同乗。西へ。富士市のフリー・マーケットを覗く。蚤の市だけあって手にしたいモノは無し。富士宮市のお寺三澤寺で催されている「縄文DNA野外展 in 三澤寺 2021」へ富士山を仰いで向かう。44名の人たちがあれこれ展示している…
その分野の極みと私的にみなす作品を入手すると、その分野の他の作家の作品への興味、関心が当然だが薄れる。昨日の奥野淑子さんの木口木版画を入手して以後、他の木口木版作家への関心が一気に薄れた。同様に田島志一の関わった審美書院(二十世紀初頭)の…
味戸ケイコ(絵画)、北一明(焼きもの)、深沢幸雄(銅版画)らは、評価されている。1945年に亡くなった小原古邨(木版画絵師)は2018年10月のeテレ『日曜美術館』 で紹介され、一気に人気沸騰。我が家に小原古邨の木版画を撮影に来た美術書の出版社の編集…
ユーモアを何気なく考えて、懐の深いユーモアということばが浮かんだ。弾かれるように「存在の深い肯定」が浮かんだ。深沢幸雄氏の1980年代半ばからの銅版画に 深いユーモアを感じ、地元の画廊の企画展で初めて『四角な小鳥』1989年を購入。 https://www.gal…
山口小夜子『小夜子の魅力学』文化出版局1983年3刷を久しぶりに開く。パラパラと眺める。実際の姿を見たかったが、早すぎる死に間に合わなかった。それはさておき。《 ときどき、こんなにぼんやりしていないでシャキッとして、時間を有効に使わなくてはと考…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート』を振り返って想起したのが、持論の「芸術鑑賞とは、眼からウロコが落ちるごとく剥がれて瑞々しく痛々しい世界を そっと抱きしめることである。そして世界は時とともに変化してゆく」2021年8月30日。 野村太…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、第十四章「パンがなければ アートを食べろ!──コンテンポラリー・アートとデリバティブ・ファシズム」を読んだ。今日の美術…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、第十二章「あえてゲーム (または、アートワーカーは考えることができるか)」を読んだ。この章もまた、私の感知せぬコンピ…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、第十章「インターナショナル・ ディスコ・ラテン」を読んだ。辛辣にして的を射たウィットとユーモアの入り混じった、日本語…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、第八章「デジタルの肉片」を 読んだ。”肉片”は”Debris”の訳語。《 しかし今日、天使が見つめる破片にも変化が訪れているよう…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、 第七章「デューティーフリー・アート」を読んだ。これまたスリリングにしてエキサイティング。能天気な夢想が破られる。ヒ…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、第五章「茫洋たるデータ── アポフェニアとパターンの認識(または誤認)」を読んだ。前章ではよくわからなかったが、この章…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、第三章「容赦なき現存在の戦慄 ──美術界における「居ること」の経済性」を読んだ。 第四章「プロキシの政治──シグナルとノイ…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、第二章「いかに人の生を奪うか ──デザインをめぐる一つの問題」を読んだ。《 こうした状況に対して何ができるのだろう。これ…
ヒト・シュタイエル『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』フィルムアート社2021年初版、第一章「台座の上の戦車」を 読んだ。 http://filmart.co.jp/books/art/composite_art/duty_free_art/ のっけからぐっと惹き…
昨日の野口冨士男『少女』から川端康成『片腕』を連想。 http://hanaha-hannari.jp/emag/data/kawabata-yasunari01.html 『片腕』冒頭。《 「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝(ひざ)に…
野口冨士男犯罪小説集『風のない日々/少女』中公文庫が先月出ていた。 https://www.chuko.co.jp/bunko/2021/10/207128.html 本棚から野口冨士男『少女』文藝春秋1989年初版を取りだし、表題作「少女」を読んだ。大富豪の小学校六年生の娘を誘拐した二十二歳…
台所、洗面所、風呂場の水廻りの水栓器具を交換。以前は捻って水が出たが、今は押し上げると出る。押し下げると止まる。阪神淡路大震災以後、この上げ下げの方式に 切り替わった記憶。最近は新型コロナの流行を受けて家庭でも器具に触れずに出水、止水。変わ…
種村季弘『徘徊老人の夏』ちくま文庫2008年初版、「私の遺産」。《 ミヒャエル・エンデに『第三次世界大戦』というSFコント風の小エッセイがある。エンデによると、第三次世界大戦は未来に到来するのではなくて、もうとっくに 始まっている。つまりわれわ…
種村季弘『徘徊老人の夏』ちくま文庫2008年初版を少し読んだ。「パスパルトゥー横浜潜入記」「古道の使い方」に舌を巻く。「パスパルトゥー横浜潜入記」は ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』を題材に。《 横浜正金銀行の開行は明治十三年。フラ…
朝、起きぬけに思った。体重、体力、運動能力が減衰し、食欲、性欲、物欲が減った現在、衰えず増してくるのは名誉欲か。名誉欲と覚りは関連しているのではないか、 と気づいた。名誉は求めて得られるものではない。他人が評価、褒賞してこそ名誉は成立する。…
午後、沼津駅近くのギャラリーほさかの企画展、北斎道子展へバスで行く。北斎さんから絵の展示法などの相談を受ける。自分なりの考えを話す。納得されたようでほっ。 知り合いの絵描きさんたちと久闊を叙す。ギャラリーを出ると小雨。電車で帰宅。 《 北斎道…
竹村牧男『唯識・華厳・空海・西田』青土社2021年初版、「第八章 鈴木大拙の華厳学 霊性的日本の建設」を読んだ。《 事とは、もろもろの事象・事物、理はそれらの一切を貫く究極の普遍のことで、仏教では空性ということになる。その空性そのものを、別の言葉…
竹村牧男『唯識・華厳・空海・西田』青土社2021年初版、「第七章 西田の哲学(ニ) 自他間の根源的構造と当為」を読んだ。《 自己を超えたものにおいて自己を持つということは、自己の根源の無に徹することであり、その絶対者の自己否定としての無において即…
竹村牧男『唯識・華厳・空海・西田』青土社2021年初版、「第七章 西田の哲学(一) 「超個の個」の宗教哲学」を読んだ。《 この否定ということは、我々人間の側からいえば、自己を対象においてしかも否定するというようなことではなく、自己が自己に対的にか…
竹村牧男『唯識・華厳・空海・西田』青土社2021年初版、「第六章 空海の哲学(ニ) 動態的曼荼羅の風光」を読んだ。《 この即身成仏ということは、密教の最大の特徴であろう。このことは、すでに自己の本質が仏そのものであることに依拠したものである。 》 …
竹村牧男『唯識・華厳・空海・西田』青土社2021年初版、「第五章 空海の哲学(一) 十住心による仏教の全景」を読んだ。《 第九、極無自性心 水は自性無し、風に遇うて即ち波だつ、法界は極に非ず、警(いまし)めを蒙って忽ちに進む。 この住心の名称の極無…