『現代思想の断層』三

 徳永恂(まこと)『現代思想の断層──「神なき時代」の模索』岩波新書2009年初版を少し読んだ。

《 アイデンティティとは、ある原因の閉鎖的な枠や目印でなく、むしろそれを外側に開くことによって、そういう脱自性もしくは脱中心性によって、 開かれた可能性を持つことになる。その場合にはアイデンティティは常に複数で考えられ呼ばれるべきものとなろう。 》 「フロイトと『偶像禁止』」 108頁

《 「静止状態における弁証法」と晩年のベンヤミンが自分の方法を特徴づける時、弁証法というものを、矛盾を通じての発展の論理と受けとれば、やや不正確な 表現と言わざるをえないが、ベンヤミンは(キルケゴールと同じように)、ヘーゲル的な「総合」を拒否しつつも、矛盾を固定化することなく、対立物やかけ離れた ものの間に働く「親和力」をアレゴリーによって透視し、他方(カフカと同じように)、現代の都市生活のさまざまなイメージのきらめきの奥に、ある「根源 (ウァシュブルング)を透視している。その場合「根源」とは(ハイデガーのように)、ギリシャ存在論的に想定された「自然(ピュシィス)」ではなく、 「創世記」以来の(ただしイエス=「新約」を予想しない)ユダヤ的「救済史観」の地平に置かれていると言えよう。そういう「根源史」の方法を学問的に 定式づけようとすれば、言語・テキストについての文献解釈学だけでなく、「形もなく名もない」ものについての「図像解釈学(イコノロジー)」が、さらにそれを 一般化すれば、「ロゴス中心主義」を脱した「空白の解釈学」とでも呼ぶべきものが必要となるだろう。 》 「第3章 ベンヤミンと『歴史の天使』」 126頁

 一月あまり前テレビ契約を解約して正解だったと思う師走。イライラが激減。
 急用が入り、イライラ。無事片付いて次の重要な約束事にギリギリ間に合う。無事片付いてイライラ消失。やれやれ。一日が終える。

 ネット、いろいろ。

《 「メビウスのねじれとは次のようなものだ。すなわち、実在へのアクセスについてしか哲学が語ることが出来ないと主張する推論そのものが、 実は人間が犯人であるという不気味な自覚への通路となっているのだ。さらにダーウィンに従えば、人間はレプリカントであり、 非人間的なものの偶然的な寄せ集めで 》 清水高志
 https://twitter.com/omnivalence/status/936215240194142208

《 あり、非人間的なものからなるがゆえに自己矛盾的なものなのだ。人間は諸々の非人間的な道具の集合なのである。」(モートン)こういうのもいいな。 》  清水高志
 https://twitter.com/omnivalence/status/936215881708797952

《 海外生活が精神的に心地よいのは、基本的に「理解できない」ことが前提として共有されるからである。同じ日本人なのだから「理解できるはず」と 短絡的に考えてしまう人々といると、居心地がわるい。これはアートを単数形で考えている人々でも、おなじことである。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/936254201675444225

《 BS-TBSの番組で紹介された、映画『否定と肯定』内の台詞。まず「肯定派と否定派の二つの見方がある」という構図を作り出し、 あたかも両方の意見に一定の説得力があるかのような事実誤認へと受け手を導く手法は、小池百合子東京都知事関東大震災後の朝鮮人虐殺問題でとっている態度と ピッタリ重なる。 》 山崎 雅弘
 https://twitter.com/mas__yamazaki/status/936079507022159872