死後の評価に委ねる(閑人亭日録)

 昨日の身体の何ともぎこちない動きを見て、会長を離任する意向に納得されたのだろう。午後のうたたねの後、身体が楽になった昨晩、夕食を美味しくいただいた後、思わぬ疲れがどっと出た。十時間余り寝た。緊張感が緩むとはこんなことか、と我ながら驚いた。思えば三十年、よくやってきた、と自らを労う。こういう気持ちは・・・自分しかわからないだろう。それでいい。人を動かすということは、人にいかに気軽に動いてもらえるかを常に考えること。顧みれば商売(甘味店)を営んでいた四半世紀、従業員のやりたくない作業(排水の掃除など)は、毎週自分が行った。源兵衛川のゴミ拾いも同じ。ゴミ袋の用意とゴミの処理は私の仕事。参加者は川に入ってゴミを拾うだけ。以下、店の回顧点描。
 1973年10月1日、父の急死で甘味処「銀月」(団子とラーメン他)を急遽引く継ぐ羽目になって経営を考えた。やりたくない店を繁盛させて閉めるにはどうしたらいいか。
 出入りの食材業者には「良いものをくれ」と言うだけ。食材の代金は現金で即金払い。
 従業員の給料は、全国平均額より五割ほど多く渡す。会計帳簿には全国平均金額を記入。
 商品の製造過程は従業員の誰もが見ることができる。
 汚れ作業は私がする。
 そんなことをして売り上げはずっと右肩上がり。1997年1月15日閉店。1997年6月1日、K美術館、地味に開館。これからは一日一日が勝負ではなく、数十年先を見通しての勝負。味戸ケイコ、北一明ら私の高く評価する美術作品が、お宝になるかただのゴミかは、歳月=私の死んだ後にわかるだろう。死後の評価に委ねる、と小声で宣言した。
 http://web.thn.jp/kbi/