実存からの文字

 西研「実存からの冒険」ちくま学芸文庫読了。これを読んで、自分はポスト・モダン思想にはまるで縁が無かったと実感。私の思考はニーチェハイデガーに近い。今の生き方も西研のいう「実存からの冒険」に重なる。
「存在の危機といえるほどのおおげさなものでなくても、私たちはどこかでさまざまなことがひっかかっていたり、いろんな傷を持っていたりする。そういうことを、哲学や文学や音楽などを媒介にしながら考えようとすること。そうやって自分のひっかかりやこだわりをほどいていくこと。これは、そのこと自体に喜びがある。自分がわかってくる、という喜びと、新しい方向がみえてくる喜びである。」

 引用に音楽があるのでその話を。昨夜はジャマイカ生まれでイギリス在住のレゲエ詩人リントン・クウェシ・ジョンソンのレコードデビュー25周年記念ライヴCD を聴いた。ダブ・ポエットと呼ばれる彼のレゲエは、レベル・ミュージックと呼ばれる。レベルはLevel(水準、位置)ではなくてRebel(反抗する)。レベルでは他にRevel(喜ぶ)があるので注意。彼の音楽は反抗の音楽。以前にも書いたけど、甘美なメロディーに乗せて社会矛盾への鋭い批判が詠われる。官能と心痛の深いせめぎあい。まあ、ラップの先達といえる。日本のラップは聞けたものじゃない。レベル(水準)が低い。

 それにしても文字とは何か。そもそもなぜ日本には文字が無かったのか。松岡正剛による白川静本の論評がじつに興味深い。文末ね。