どこで何で死ぬか、をよく思う。病死? 事故死? 犯罪被害死? どのような死に方にせよ、人々の記憶に残る死に方とまったく残らない死に方がある。有名人や報道関係の人はまずはメディアに載って知られる。話題は私のような無名人の場合。事故死ならば大量死の一人。ああ、あの事故の事件の、と記憶に残る。ま、それも短い期間だけれど。記録に残るよりも記憶に残る生き方、死に方をしたい。ミャンマーでのカメラマンの死を知ってそんなことを思った。
昨日の毎日新聞夕刊、フランスのミュージシャン、ピエール・バルー公演について北中正和の記事。
「いまは音楽を自己実現や自己憐憫(れんびん)の道具とかんちがいしている人たちが少なくないが、音楽は記名性がなくても人々の間で生き続けるものであるべきだと考える彼の歌は、イヴ・モンタンやフランソワーズ・アルディなど多くの歌手にうたわれてきた。」
昨日はブックオフ長泉店で「コートールド美術館の名画」日本経済新聞社1998年2刷、河盛好蔵「人とつき合う法」新潮文庫1993年54刷を買った。210円。前者は 切り取ると20枚の絵葉書になるもの。この展覧会は名画ぞろいだった。凄かった。後者は表紙絵が花森安治。