感じない男

 夜半からの雨が上がり、久しぶりに窓をせいせいと開ける。涼しい風が部屋を吹き抜けてゆく、五月。寒いので閉める。午後小雨。

 森岡正博『感じない男』ちくま新書2005年2刷を読んだ。

《 男の性についての一般論ではなくて、実際に自分がどうなのかというところから、この問題を考えていきたいのだ。 》 「はじめに」

《 ミニスカを凝視する男の視線が女にとって不快なのは、女がミニスカ娼婦として見られているからではなく、ミニスカさえあれば生身の女はいらないという排除の視線が、女に突き刺さってくるかであろう。 》 第一章「ミニスカートさえあれば生身の女はいらない!?」

《 そして、このような視線を浴びせる者こそが「感じない男」なのであり、ロリコンや制服フェチなどを生みだしている現代の病理なのである。 》 同

 という結論だけ読むと誤解されそうだが、ここへ着くまでの論述がじつに興味深い。

《 すでに述べたように、「感じない男」は、感じる能力をもった女に復讐しようとしたり、女よりも優位に立とうとする。しかしそれだけではない。「感じない男」は自分の体を否定するがあまり、自分の体から抜け出そうとまで試みるのである。 》 第二章「『男の不感症』に目を背ける男たちは」

 この章で男の性にはすごい個人差があるなあと実感。

 第三章「私はなぜ制服に惹かれるのか」、第四章「ロリコン男の心理に分け入る」と進むと、またまた驚きが続く。

《 すなわち、ロリコンの男たちは、少女は大人へと脱皮する瞬間というものに、異様に執着しているのである。「大人の女」に執着しているのではない。大人の女が出現する「瞬間」というものに執着しているのである。 》 第四章「ロリコン男の心理に分け入る」

《 私は少女の体を生きてみたかった。この情念の一点において、制服フェチとロリコンは通底している。私は少女であり、少女は私である。このような常軌を逸した妄想を一瞬かなえてくれるもの、それが制服とロリコンである。 》 同

《 美少女の体を着ること、これこそがおたくの「萌え」の核心なのである。 》 同

 慧眼というか、深い。うーん。

《 私は、自分が夢精をしなければならない体として生まれてきたことや、男の体になっていく自分自身というものを、どうしても肯定できなかったのである。 》 第五章「脱『感じない男』に向けて」

 このへんは、私はじつに鈍感だった。ま、こんなもんだと受容していた。

《 もっとも大切なことは、好きな人や、大切な人たちと、やさしい関係をつむいでいくことであり、互いを尊敬していつくしむことのできる関係を作っていくことだと私は思う。 》 第五章「脱『感じない男』に向けて」

《 セクシュアリティの問題に、一般的な解答はない。読者ひとりひとりが自分のこととして考え続けなければならない。 》 同

 同感。どこかに思い当たる節を感じる。ちょうど占いのように。