寒いので家こもり。午後友だちのお誘いに乗りブックオフ沼津南店へ行く。途中小雪がひらひら舞う(今冬初めての雪)……終わり。池澤夏樹『スティル・ライフ』中央公論社1988年初版、片岡義男『誰もがいま淋しい』角川文庫1984年初版、計210円。初めての片岡義男。ネットで話題なので一冊買ってみた。平野甲賀のなんともシンプルな装丁。その気にならない時は欲しい本もないわ。
ダンテ『神曲』「天国篇」を読了。ベアトリーチェに導かれてダンテは天国へ昇る。「天国篇」はキリスト教の教理問答がつづき、「地獄篇」「煉獄篇」同様、歴史上の人物への批判もたくさん。ここでも当時の名の知れた人が登場。注釈を読んでふーん、の世界。
《 キリストを信じなかった者が/ この王国へ昇ったためしは、キリストが木に/ 釘づけにされた前にせよ後にせよかつてなかった。 》 第十九歌
《 そしておまえら現世の人間よ、判断はけっしてうかつに/ 下さぬがよい、神を見る我々の目にも/ 神に選ばれるべき人々の姿がみな映るわけでなないのだ。 》 第二十歌
《 しかし近頃の聖職者連は、/ 左右からお付きが支え、前からは手を引き、/ 後ろでは裾を持って貰わなければならぬほど肥え太っている。 》 第二十一歌
《 およそ教会が保有する財宝はみなすべて/ 神の御名により物を乞う(貧しい)人々の物で、/ 聖職者の親戚とかその他の猥雑な連中の物ではない。 》 第二十二歌
《 さあいまは永遠の価値の高さ、その大きさを
見てください。神はあの数多い鏡の中に
こなごなになって反射しているにもかかわらず、
それ自体は、それ以前と同じく、永遠に一のままでいるのです 》 第二十九歌
《 私は現世で彼女の顔を見そめた日から
いまこの天上にいたるまで、まがりなりにも
たえず彼女を詩にうたってきたが、
いまはもう、彼女の美しさを、詩によって
負うことができない、
芸術家にはみな限界があるのだ。 》 第三十歌
一・月、ニ・水星、三・金星、四・太陽、五・火星、六・木星、七・土星、八恒星、九・原動星そして十・至高天。
《 その光で私が見た姿は
言葉では及ばぬ言葉を越えた像(すがた)、
記憶では及ばぬ記憶を超えた像(すがた)だった。 》 第三十三歌
「天上篇」は眩しくて困った。なにはともあれ、『神曲』、一応読了。ふう。
ネットのうなずき。
《 身体の成長はある年齢に達すると止まるが国も同じ。日本は前の東京オリンピックの頃と比べるとGDPで17倍も大きくなった。身体の成長はそこそこでいい。あとは成熟に向かえばいい。ものではなく価値を生み出す国に。 》 原研哉