『 時に佇つ 』

 佐多稲子『時に佇つ』1975年を河出文庫1982年初版で読んだ。15日の「私の選ぶ 戦後文学ベスト3」に選出された小説。十二の短篇から成る。

《 過ぎた年月というものは、ある情況にとっては、本当に過ぎたのであろうか。 》  「その四」

《 それは私をもふくめたおたがいの若かったときを一瞬によび起し、そして現実の 否応なしの崖ぎわを見るおもいであった。 》 「その十一」

 縁がなければ読むこともない作家だったが、文章から伝わる潔さというのか、書く姿勢に こちらも襟を正すことを想起させる。

《 おかしなその心の用意をここで明かせば、「時に佇つ」を、昔なつかしの回顧談には したくない、という自戒であった。 》 「時に佇つ」に寄せた私のおもい

 それがしっかり守られている。純文学という分野の好ましい一例だろう。

 朝、三つ石神社から時の鐘橋までの源兵衛川岸のヒメツルソバを一時間あまりかけて除去。 まだ若葉なので楽。鉄橋の下の水辺に外来種のハーブが群生しはじめていた。除去。ふう。 一汗かいた。帰宅してコーヒー。

 午後、来月のチャリティ・コンサートのチラシ配りで、グラウンドワーク三島の女性職員と 商店街を歩く。二十六歳の彼女、四月からは東京の通信機器会社へ。三島がいいなあ、という 言葉に、二十代半ばのどん底の自分を回想。それぞれの時代、それぞれの人生……。

 ネットの見聞。

《 今日は『教皇ヒュアキントス』が50冊以上売れたということで、何か起こり得ないことが 起こったような驚異の売り上げでした。買っていただいた方々と、売ったり販促したりして くださった方々に感謝申し上げて今日は寝ます。 》 中野善夫
 https://twitter.com/tolle_et_lege

 林由紀子さんの家には本はまだ到着していない。うーん、待つのはつらいわ。

《 過去の歴史をきちんと学ばれている天皇や皇太子が、年に数回の会見や談話で繰り返し 「日本国憲法の価値」に触れられるのは、日本が今後も「戦中のような後者」でなく 「現在のような前者」であり続けて欲しいと願われているからだろう。 「あの連中に利用されるだけ」の国家元首にはなりたくないだろう。 》 山崎雅弘
 https://twitter.com/mas__yamazaki

《 汚染水 外洋に垂れ流し 1年前に把握、放置 福島第一 》 東京新聞
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015022590070904.html

《 やはりコントロールされていたのは「汚染水」ではなく「情報」だった。 》

 ネットの拾いもの。

《 しかし「教皇ヒュアキントス」の大好評を受けて、その後の国書刊行会の新刊刊行時には 記念饅頭を配ることが恒例となるとは、だれも予想していなかったのであった。 (国書刊行会百周年記念誌より) 》

《 小学生のころにSFマガジンとSMマガジンを間違って購入して見たら鼻血がとんだ。 》

《 どうでもいいけどうちの辞書はなぜ「ちぎっては投げちぎっては投げ」を必ず最初に 「ちぎって鼻毛ちぎって鼻毛」と変換するのか。 》